NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

一匹狼(笑)

以前コミュ障ネタで「孤立してるけど一匹狼じゃない。群れからはぐれた羊」というものがありまして。
うまいこというもんだ!とぐさりと来ましたw


そういわれてみるとその通りだなと自分の現状からみて思います。
確かに自分は一人でいるのが苦じゃない人間です。
むしろ一人で生きるのを望んですらいます。

でも「望んでいる」からといってそれを実行しうるスペックがあるかと言われると厳しいですね。
むしろ低スペックだからこそ他人と群れるというのが生きる術であって、それから離れることができるのはあくまで群れる必要がないくらい自身の能力が高い人のみなのかもしれません。
狼ならぬただの羊が狼のマネしたところで一人で怪我するだけです、と。

自分の今の状況もまさに群れからはぐれた羊。
ろくすっぽ世渡りもできずにずるずる脱落しつつあり、むしろ最近は積極的に付き合いとかを断るようになってきました。
「常識」でいえばバッドエンドコースまっしぐらというところ(笑)

昨日今日で在宅ワークの入り口に立ってみましたが、実情はというと、サイトにワーカー登録したものの仕事を受注できずに登録だけで終わっているアカウントが9割近い、という現実を知りました。
理由はスキル不足から発注側の要望に応えきれない人が多いから、だそうです。

ノマドワーカーに慎重な立場の意見もあるようですが、今日のこれを知って少しわかった気がします。
ノマドや在宅はあくまで個人の実力が残酷なまでに現れるということのようです。
相手の事情についていちいち仕事発注側が配慮したりすることはありませんよね。
個人で企業の要望に応え仕事をこなせるのはあくまで「一匹狼」であって「群れからはぐれた羊」ではないということ。
その一端を垣間見た気がするw


と、いうようなことをわかっていない時点で自分はやはり群れからはぐれている羊なのかもしれません。

ただ最近、歳だけは人並みにくって、身近にいるハイスペックな知人たちを見て、漠然と感じていること。
それは「自分の人生の天井はきっと低いだろう」ということ。
軽やかに華やかに生きるオトナになる日はおそらくもうないのではないか、と思えてなりません。

そして最近、それを静かに受け入れられるようになった気がします。
今にして思えば、学生時代からただただ地味を地で行く人間でした。
そんな自分でも蛹が蝶になるがことく、いつか脱皮して立派なオトナになるんだろうとどこかで無邪気に思っていたようです。
それは自身の無限の可能性を、理由もなく信じられる幸せな時代だったのかもしれません。

しかし社会に出て、親の庇護も外れ、自身の本当の姿を何度も思い知らされ、それでもなお百花繚乱の未来を信じられるかと言われると難しいですね(笑)
ただ、それは諦めかと訊かれると少し違います。
絶望をともなった諦め、というより、やっとこさ地に足がついて現実的な希望を探し始めたという感じです。

おそらくもう自分には世間でもてはやされるような大輪の花は生涯手に入らないでしょう。
そういうのを目指していて、手に入らないことに絶望した時期もありました。
けどいまは、そのような大輪の花を背負うだけの器が自分にはないことを知りました。

なら、もうそれは自分には不要です。
自分はあくまで、小さくはあっても自分が背負えるだけの花を探すことに決めました。
なのでたとえ「割に合わない道」であっても、それが自分にとって十分であるならそれでいいと思っています。


自分にできるかどうか、合うかどうかはやってみるまでわかりませんが、周囲の環境が許す限り、やれるだけやってみようかと思います。