NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

「現実的」も人それぞれ

以前の上司に「なんでこれができないんだろう?」をよく言う人がいました。
生意気ですが、その人は部下だった自分から見ても優秀な方で、数字上でも他の同僚より高い結果を出していました。その人もハイスペックゆえの疑問を持っていた一人なのかもしれません。

彼らにとっての「普通」に部下がついてこられないのが歯がゆくもあり不思議でもあるのではないかと。
彼らにとっての十でしかない内容を千の言葉で説明しなければ部下がついてこられないこと、しかもそこまで噛み砕いてついてこさせてもそれを「ストレス」にしてしまうことが不思議でならないのかもしれません。

ですが、だからこそ、この競争資本主義の世の中で登りつめることができるのでしょうね。
自分が一を言って千を知るような部下がいたとしたら、わざわざ自分よりロースペックな人間の二等兵に甘んじる理由はあまりない気がします。
皮肉な格言ですが「なぜ上司は無能なヤツが多いのか?」という問いに「有能であれば出世し、求められる役割にあまり応えられなくなった時点で出世が止まるから。つまり要求レベルに対して無能になるまで出世し続けてしまうシステムだから」というものがありました。



凡人にとってアクロバティックに思える仕事でもハイスペックな人から見たら普通で当たり前でしかありません。

そのことを理解し、自分にとっては苦しいけれど上司的には普通だという基準。
凡人にとっては結果だけをハイスペックな人の基準に合わせることはできても、それによって生じるストレスだけは誤魔化しが効かないでしょう。
腕をつねられて「痛い」と言わないことはできたところで、「痛みを感じること」を誤魔化すことはできないのと同じだと思います。

そして近年、激化の一途を辿る競争。
国内だけで競争してりゃよかった時代から世界規模の競争に強制エントリーさせられかねない状況かと思います。
これまでは「ハイスペック」のカテゴリーにいられた人でも、競争のステージが拡張されることで「凡人」に相対的なランクダウンをくらうこともあるのではないでしょうか。

同じ発想でいくのであれば。
今何とか上位グループでやれている人でも、これから「身の丈を超えた仕事」に直面することもあるかもしれません。そして現時点で「身の丈を超えている」人は目も当てられない世界が待っているということになってしまします。



いろいろゲンナリする感もありますが、またここからぼちぼち始めるしかないのだと思います。

けど、何をどうするのかは自分の適性やスペックに合わせて自分で見つけた方がいい時代になったように思うのです。
頑張りたい人は頑張ってもいいけど、頑張り方にもコツがあるということを知っておいた方がいいと思いますし、最初っから勝負にならないと思う人はひっそりやっていく現実的な道を密かに模索するのもいいと思います。

新卒至上主義とか履歴書の空白はダメとか年功順とか、そういうのもういいんじゃないかと思ってます。そういうのにうまく乗れて別にしんどくもないって人はそれでいいと思いますけど、その縛りルールがしんどい人はほどほどのところで切り上げていい気もしますね。

未来のことは普通わかりません。
ですが考えなしに合わない組織に身を置いても自分がしんどいだけだと思うんですよ(´・ω・‘)
過労死は誰が悪いとかなくはないけど、環境とその人のスペックのミスマッチの結果であるとも思ってます。
合うか合わないか、こればっかりは自分以外の誰にも分かりませんしね。正しいか間違ってるか、じゃなくて「自分に合うか否か」という目も持ってほしいです。

誰の言葉か忘れましたが「自分が得意なことや興味があること以外、他人はみんな魔法使いに見えるものだ」というものがあります。
自分が苦手な分野で他人と競うなんて魔法使いと戦うのと同じことなのかもしれません。

できないことはできない、興味ないことは興味ない、それでいいんじゃないでしょうか。
できないこと・したくないことをしない代わりに、できること・したいことをそれをしたくないという人の代わりにしてあげればいいんじゃないかと思ってます。
自分の本音と適性を大事にして、あくまで「自分から見て現実的な道」を模索するのもいいと思うのですよ。