NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

春の日

最近すっかり暖かくなりましたねw
春を感じて心も軽やかです(´ω`)

今日は仕事の方もきりがよかったので気晴らしに外をフラフラしてましたw
基本ひきこもりなんですが、ひきこもりすぎると外に出たくなる辺り、完全ヒッキーではないのかもですねw

春といえば花粉症。
自分も毎年苦しんできたのですが、今年は例年に比べるとやや症状が軽いような印象があります。
花粉症といったアレルギー反応は腸内環境の良し悪しが関係があって、腸内環境が荒れているほどアレルギーもひどくなるとかなんとかいう話を小耳に挟んでます。まだあんまり詳しくは調べてないんですがw


腸内環境なんて調べようがないですが、一応自分も肉は原則食していませんので、肉大好き人間だった去年よりは腸内環境は良くなっていると思われますw

どうかなーと思っていたところ、やはり一応花粉症が来ていることは来ているんですが、例年よりは症状が軽いかな?くらいの気持ちはありますね。
例年は早ければ2月の終わりくらいからもう鼻はズビズビ、3月に入るともう鼻では呼吸ができないくらいになる時もあったんですが、今年は鼻水が少し出て、くしゃみがすごい出るくらいで治まっていて、息ができないくらいの鼻づまりは来ていません。

引きこもりな生活のせいかなーとも思わなくはないんですが、例年も別に外に出ていなくてもなるときはなりましたからね。朝鼻づまりで目を覚ますこともありましたしw
特に今日なんて昼間外をウロウロしていましたが、何かの拍子にムズムズっと来るくらいで、もう外を出歩けないほどのひどいのは来ませんでした。

まああまりはっきりしませんが一応ご報告しときますw





で、今日は何をしていたかというと、その辺を散歩していたわけですw

ちょっと遠出はしたのですが、お気に入りの川辺があってその辺を歩いていたのです。
ちょうど昼の3時過ぎくらいでしたかね。太陽が一番強く照りつける時間帯でとても暖かく、上に羽織っていたシャツを脱いでちょうどいいくらいの気温でした。

そこは川にそってちょっとした土手道が続いていて、場所によっては少し開けた広場みたいにもなっている土手道です。


そこまではよくある光景でこれまでも何度も見てきた景色だったんですが、今日はなんか見慣れない景色を見かけました。

なんか今日はやけにその川べりの土手に腰かけて、なんか楽しそうに話してる人達を何組か見かけたんですよね。「ワイワイ」っていうほどアッパー系な雰囲気でもなく、かといってなんかボソボソ話してるっていう風でもなく。
「ほんわか」とか「はんなり」とか、そんな感じの雰囲気で見てるこっちが微笑ましくなるような雰囲気でしたね。あ、ちなみにカップルでいちゃいちゃというやつではありませんwww

何をしているのかって言うと、特に何もしてないんですよね。

カフェとかファミレスとかで楽しそうに話してる人達をそのまま川べりに連れてきたような感じです。本当に川べりにまで下りられる階段のところに腰かけて、ただなんとなくだべっているだけという感じ。

まさに春の陽気に誘われてって感じだったんでしょうか。
その川沿いの土手道はもう何年も知ってるんですが、こんなに「ただ川べりで楽しそうにだべってるだけの人達」というのは初めて見たもので、なんか印象に残ったんですw


こうやって文字で書いちゃうと別にたいしたことでもないじゃんという感じもしないでもないですが、その現場にいた人間とすると、なんかもうすごい「平和な光景」って感じがしたんですよ(っ´ω`c)
もう絵に描いたような「のどかな景色」って感じでもありました。

あまりにみんなが気持ちよさそう&楽しそうに腰かけてるもんだから、自分も適当な川べりに腰かけてボーっとしてみたんです。

コンクリートジャングルも好きな自分ですが、ああいう自然に近い川べりにいるのも好きな方です。
風も陽射しも暖かいし、川には鴨が浮かんでて適当にその辺フワフワしてたし、たまに魚がジャボッと跳ねる音が川べりに響いたり、その辺の土手に目をやると小さい花が目についたり。

「なんて平和なんだw」と思いましたね。
ビールでも片手にそこにいられて、仲の良い人と一緒だったら一日中いられた気がしますねw



おだやかな川の流れに暖かな春の陽射し。
そこでぼーっとしながら仲の良い人達でだべるのはお金のいらない癒しかもしれません。なんとなく自分は、今日見かけたこの光景こそ自分が理想とする未来のように思えましたね。

現代社会のとにかく何かを消費させようというプレッシャーはすごいものがありますが、人間って本来、その辺ぶらっと出掛けてその辺腰かけてボーっとしてたり友達と話してたりするだけでもう十分なところがあって、過度な食べ物もレジャー施設とかもないならないでなんとかなるのかもという気もしなくもないです。

あまりあの空気をうまく書けませんでしたが、自分の中では「こうなったらいいな」という未来の雛形のようなものが一つ見つかって、ちょっと嬉しかった春の日でした。