NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

健康の先にあるもの

先日、天風哲学に久しぶりに触れてみて、健康問題についていろいろと思うところがありました。

天風哲学が言う健康とは、「人間として正しい生活を送りつつ、やるべきこと・果たすべき務めを果たすから健康になる」といった趣があります。健康になるから正しい生活をする・健康だからこそやるべきことができるのではないという点が要注意です。世間一般的な考え方とは逆なのですね。

つまり、健康とは目的やゴールにするものではなく、自分が人間として正しく生きてさえいれば必然的についてくるものであって、健康を維持するためにあくせくし、自分が本来果たすべき役目がおざなりになるなんてのは本末転倒ということです。


この辺、人間は猿からちょっと進化しちゃっただけのただの動物って発想ではとても理解不能かもですね(^_^;) 天風哲学を見たことのある方はわかるかもしれませんが、現代風に言えばちょっとスピリチュアルな要素が入っていると言ったほうが分かりやすいかもしれません。

簡単に言うと、「人間とは、その他の動植物とは一線を画す特別な存在」であり、「生まれながらにして完璧な存在」であるとされます。そのため、人間には本来、病気もなければ不幸もないのが当然であり、そういったネガティブな出来事が起こることのほうがおかしいというわけです。

そして人間は一体この世に何をしにきたのかといえば、「世界の進化発展に貢献するため」です。病気で苦しむためでもないし、バカンスにきたのでもないし、金儲けでも、うまいものを食いにきたのでも、恋愛を楽しむためでもありませんと。夏休み前に宿題が出るように、人間としてこの世に生まれてきた時点でその人には必ずこの人生で果たさなければならない使命とでも呼ぶべき務めがあると。

以上のことから、人間は人間として正しく生活しつつ、自分に任せられているそれぞれの役目を果たさなくてならないと。その点を押さえていれば、人間が本来持ち得ている肉体的・精神的キャパシティは最大限に発揮され、完璧と呼ぶにふさわしい人生が始まります。しかしその本懐を忘れ、脇道に逸れてしまったときは「病気」や「不幸」といったことが絶え間なく起こり、苦悩することになるとされます。




人によって信じる信じないはあるでしょうが、人間がただ肉体面のメンテナンスさえやってりゃ健康になれるというのはどうかなと自分は思います。わりと天風哲学も信じている口です。もちろんそんな完璧と呼ぶべき存在には遠く及ばない現状に自分はありますから、とりあえず健康になりたいがためにいろいろ活動していることが多いです。本当は逆なんでしょうけど……。

もちろん、肉を食べないとか、上質な水を飲むとか、適度な運動するとか、そういう肉体面のメンテナンスを心がけるだけでもある程度の健康は実現できそうです。暴飲暴食・昼夜逆転の毎日よりはよっぽど健康的です。巷で流行っているような健康食品とかじゃなくて、本当に最先端の健康ノウハウを活用すればわりとすんなり改善は可能かと思います。

ただ、「それだけ」だとどっかで行き詰まるようにも思えて仕方ありません。人間はどっかで「心の在り方」、そして「人間としての在り方」と向き合わざるをえないように思うんですよ。


天風哲学はとりあえず置いといて、『病気にならない生き方』の新谷さんも著書中で、健康に生きるための条件の一つに「幸福感」を挙げていらっしゃいます。自分の人生を楽しく生きることができなくては健康にはなれないということなんですね。

もし仮に肉体面のメンテナンスだけで健康は実現できるとしても、健康は果たして目的やゴールになるかなとも思います。堀江さん風に言えば、「健康になる方法はあるけれど、健康になって君はどうするの?」って感じでしょうか。趣味もやりがいも使命感もなく、生きていること自体に幸福感もなく、ただ「健康に生きているだけ」って毎日は案外楽しくないかもなぁと思ったりもします。

ちょっと前まで時間と健康がたっぷりあったわりにやることがなかった自分としては、健康になるための情報を集めたり実践したりしつつ、本当に健康になってしまったらそこからどうするのか、空恐ろしさを感じなくもありません。

もちろん病みがちだった頃に戻りたいなどと微塵も思いません。ただ、健康に関してある程度可能性が見えてくると、「健康になりたい!」ばかりじゃなくて、「健康になってからどうするのか」というまだ先の話があるのだという部分も見えてきたり、「肉体面のメンテだけでは限界があるのでは?」と思えてくる部分があったりして、なんとも(・ω・)