NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

小さな図書館しかないとこんな感じですよ

久し振りに小説というものを読んだのがきっかけになり、ちょっと小説への熱が戻ってきていまして、図書館でも久しぶりに文芸小説の棚を覗いてみたりしましたw 少し前まではせいぜい個人的に好きなラノベ系統の作家さんの本をピンポイントで借りる程度であり、小説の棚全体を見るとかはなかったんで、ものすごい久しぶりな感じでしたねw 

自分が小説にはまって活字中毒のようになっていたのは高校生の頃で、最初のきっかけになったのが宮部みゆきさんの『龍は眠る』でした。それに夢中になって以来、宮部さんの本を次々読んでいって、次にハマった作家さんは東野圭吾さんでしたね。こっちも当時出てた本はかなり読んでます。



それで最近、ちょうど実家の方に戻る用事があったので、高校生の頃の自分がまさに借りていた実家近くの図書館も覗いてみる機会がありました。その図書館にある本は、途中で買い替えられたりしていなければ、高校生当時の自分が借りた本が置いてある図書館になるのです。気が向けばそういう本を借りて、軽く読み返してみてもいいかな〜なんて思いながら覗いてみたら、どうも昔自分が読んだタイトルが見当たらないわけです。

宮部さんや東野さんは小説ファンなら名前くらいは知っていることの多いビッグネームですから、当然この作家さん達の本は置いてあります。でも、昔自分が夢中で読みふけったタイトルは、さっぱりと言っていいほど見当たりませんでした。

自分にとってそれらはノスタルジーなタイトルではありますが、それらのタイトルはかなり古い本になるのは間違いありません。特にビッグネームな作家さん達はずっと作品を発表し続けてますので、その作家さんの本はどんどん増えていくわけですよね。当然今注目されているのは新しいタイトルの方になるわけであって、昔自分が読んだようなタイトルが急に人気沸騰して、全部貸し出し中ということはまずないはずです。

おかしいと思って検索機で軽く見てみると、どうもその辺の本は置いてあるけど開架はしてない、書庫に保管されているという扱いのようでした。言われてみると他にもちらほら読んだいろんな作家さんの本も世代交代しているようで、高校生当時の自分が直接目で見ていたであろうタイトル本は、もう結構後ろに引っ込んでしまっているみたいでした。



これに気づいた時、電子書籍のメリットというものを認めないわけにはいかないなと直感的に思いました。特に図書館においてあるような本はハードカバーの比率も高く、保管する負担が大きいのは明らかです。作家業で生計を立てているビッグネームな作家さん達の本は当然増えていくし、その度にハードカバー本を入れなくてはならないとなると、図書館の容量がキャパオーバーを迎えるのは時間の問題ですよね。

特に自分の実家近くの図書館は公民館の一室に作られているような小さなもので、容量も決して大きくはありません。もうその作家さんのファンでなければわざわざ借りようとする人も少ないであろう古いタイトルをいつまでも開架することはできないのは当然の帰結というものでしょう。しかも書庫だって無限のスペースがあるわけではないので、いつかは書庫のキャパも限界を迎える日も来るでしょう。

図書館側は開架する本を世代交代させ、書庫などに分けて保管する手間がかかります。利用者側は借りたいと思う本が古ければ、検索機で検索してコードを控え、スタッフさんに頼んで書庫から取ってきてもらわなくてはなりません。どちらも手間がかかりますよね。

これが電子書籍になると、そういう手間がなくなるというのは大きいなと思いました。個人的には紙の本が好きですけど、わざわざ分厚いハードカバー本をやりくりして運営されているらしい図書館を見ていると、効率が悪いようには思いました。もちろん古いタイトルは文庫本に置き換えられて開架されているものもあるんでしょうけどね。それにしても二度手間臭がハンパないです。



開架されている本を眺めていると、今目の前にある本の中に、高校生だった当時に目にしたものはいったいどれくらい残っているのだろうとなんかしんみりした気分でした。当時読んだものも読んでいないものも含め、あの当時に日常的に目にしていたものはもう書庫の方に移ってしまったのかなぁと。

読んでいなくてもいつか読もうと思って、何となくタイトルだけは覚えているものもあったりしたんですけどね。そういうやつもやっぱり見つけることはできなくて、ソラで検索できるほどはっきりした記憶でもないので、「まあいいや」で終わってしまうんですよね。別にそこまで強烈に読みたいわけでもないですし。あの当時「いつか読もう」と思っていたものは、もしかするともう二度と読む機会はないのかもしれません。


開架されている宮部みゆきさんや東野圭吾さんの小説も、自分が活字から離れた後に発表された作品に入れ替わっていて、すっかり読んだことのない作品だけで埋まっていました。当時、置いてある本は一通り読んだ気もしたんですけどね。時の流れを感じましたwww

その作家さんのファンになって、その方の作品をわざわざ集中して読もうとしない限り、わざわざ書庫から本を取ってきてもらうなんて面倒な事、しない人も多いような気がするんですよね。それよりも今開架されている本だけでも読み切れないほどの量があるんですから、そっちから読みたい本は見繕えば済む話です。

そうなると、主に図書館で本を見繕っている人間にとって、その作家さんの代表的作品とかも年代ごとに差が出るのかもしれません。宮部みゆきさんの本になると、自分なんかは『龍は眠る』でハマり、『火車』が不動の名作で、『模倣犯』が金字塔なイメージがあるんです。

でも最近よく開架されている本しか知らない人になると、『ドリームバスター』とか『ICO』とか、あとは『小暮写真館』とかのイメージの方が強い作家さんになるのかもしれないですね。どれも読んだ事ないので知りませんけど。



なんてなことを考えてしまった、小さな図書館しかない田舎者のひがみエントリでした。