NCの日記

コミュ障人生、試行錯誤の日記です

病気を道標に

去年は体調が絶好調という感じでしたが、今年は一転して下火に。一時は絶不調にもなりました。
腹具合が一時期、非常に悪かったのはどうやら過敏性腸症候群というやつの疑いが強いみたいです。そういう薬を出されました。

腸の働きが過敏になりすぎて下痢や便秘、その他腸の異常を慢性的に引き起こすというものみたいです。参考までに→過敏性腸症候群 - Wikipedia

印象的には生活習慣病的な感じがしてますので、ちょっと横になってたら治るとか、薬飲めば治るとか、そういうもんでもなさそうで、全体的な生活習慣の見直しとかが必要という要素が強そうです。

コレの疑いが強いときは玄米とかやめといた方がいいかもしれません。自分はヤバかったです。
あと、分搗き米ならどうかなと思って5分と7分の米をそれぞれ一定期間食べてみましたが、ちょっと微妙でしたね。玄米ほどあからさまな感じこそしないものの、何となく調子が悪くなる感じがしました。
今は白米を食べてます。腹具合的にはこれが一番今しっくりきてます。


というような感じで、以前はわりと玄米信者だった自分も玄米を離れる結果になりました。
体にいいとか悪いとか言う以前に、体の声に従っていたら白米に辿りついてしまいました。

今までの努力とか、なんだったの?という気がしないでもありませんが、これも体からのメッセージとして、素直に受け取りたいと思っているところです。


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少し前まで、もしかしたら今も、今年のこのくだりをずっと考えてました。
自分は大きな病気をするとき、後から振り返るとたいてい大きなシフトチェンジのきっかけになることが多いからです。
特に今回は玄米食でかつてないほど健康でいられた去年との落差が大きく、考えずにはいられませんでした。

辿り着いた結論としては、「病気から逃げるための健康法では、病気から逃げれられないのでは?」ということです。


若干精神世界的な話が入りますが、病気とは運の良し悪しで何となく発症するもんではなく、人としての本分や自分の使命から外れているとき、その警告として現れるものという考え方があります。
自分もそういうスタンスで考えていますので、大きな病気であればあるほど悩ましいのですよね。

この考えがもし真実とするなら、病気とはある意味、「お前の道はそっちじゃない」と別方向に手を引いてくれているありがたい存在ということになります。
その声を無視して強引に活動したり、薬やなんやかやで力ずくで症状を抑えたりしても、結局は時間の問題でまた同じ症状が現れ、堂々巡りというわけですね。

健康法というのも結局は投薬治療なんかと同じで、その病気が起きるのが嫌だから、だから必死で病気が起きないように立ち回っても、結局その病気を引き起こしている「自分の生き方」そのものが改善されない限りは、どんな健康法でもやがては病気に見舞われるということなのかもしれません。

菜食とか玄米食とかについて、ジャンクフードばかり食べている食生活に比べれば、それだけでかなり人間本来のあり方に近い状態になれるとは思います。
そのため、あるところまでは機械的にそれをマネしているだけでもかなり効果があると思いますが、その動機がいつまでも「単に病気が嫌だから」という次元から抜け出せないのであれば、やがては病気になるのかも、と思ったのです。


「菜食とか玄米食をやるのはなんのためか?」ということですね。
それが人間本来のあり方に近いから、自分の本質的生き方に近いからやるのか。
それとも単に病気が嫌だから、一つの健康法としてしがみついてるだけなのか。

自分はあきらかに後者でしたね。
多少は実践した結果、効果もあるとわかって、それを礼賛した自分が玄米食が原因で体を壊すというのはなんとも皮肉な結果でした。


もうちょっと現実的な解釈を考えてみますと、一つの健康法にしがみついてしまうと、その健康法から外れた行為に対して異常にストレスや抵抗感、罪悪感を感じるようになってしまうと思うんですよね。

菜食を例にとると、その菜食をやる動機が「ただの健康法」である場合、その内心には「菜食から一ミリでも外れたら病気になる!」という恐怖心があるのではないかと思うのです。
まるで「菜食」という細いロープの上を綱渡りでもしているかのような気分で、ストレスや恐怖心と隣り合わせの毎日を過ごすことになります。

たとえ菜食が比較的体にいいとしても、そんな状態で過ごす毎日が健康であるとはとても思えません。
早晩、心身のバランスを崩して病気になるのがオチ、という感じですね。


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……というようなことを考えていました。

菜食は現在も続けていますが、以前ほどコチコチのストイックな菜食は目指していません。食べたいと思えば魚もたまに食べるようになりました。そして「菜食さえしてればコッチのモンw」みたいな感情も薄れてきました。

それで一回、食事がひどく乱れた時期がありましたが、結果的には前ほどおいしいと感じなくなっていたり、最初はおいしかったけど後で気分が悪くなったりといったことを経験しました。
菜食などを見直すいいきっかけになったかなと思っています。


食生活含め、今のあり方が「ファイナルアンサー」とは思いません。
まだ知らない事、未熟な事はたくさんあると思います。

それは自分から主体的に知りたいとも思いますし、そしてこれが一番大きな心境の変化だったのですが、「自分が道を間違えたそのときは、きっとまた病気が教えてくれるだろう」と思うのです。

考えてみれば、自分は病気があったからこそここまで来ることができました。
自分に病気なんてものが起こらなければ、もっとしょうもない人間になって、その辺で適当に働き、のんべんだらりと食っちゃ寝を繰り返していたと思います。

ある意味、病気は付きっきりで自分の手を引いて、自分を有意義な方向に連れて行ってくれたようにも思ったのです。
後から思えばってことで、病気の渦中にあるときはホントだるいですけどねwww


まあ長い目で見れば、意味もなく病気がなくなるというのは不幸なことかもしれません。
病気はある意味では道しるべのようなものであり、それを失うというのは大海原で羅針盤を失うようなものかもしれません。それを思えば「病気様」とお呼びした方がいいかもと思えるときもあります。

病気が本当に人間への警告としての側面を備えているのなら。
健康法なんてものに躍起にならなくても、自分が本質的生き方さえ身に付ければ、自然と病気は治るし、かからなくもなっていくのでしょう。

それまでの間は、もうしばらく病気のお世話になるしかないかもしれません。
これまで体調不良に悩んできただけに、病気の警告力は逆に信頼しています。
なるべくお世話にならないように頑張りたいですけどねw


というような感じで、病気と共にうまく生きていければと思っている今日この頃です。

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