NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

何げない日常に感じるノスタルジー

今日はあまりにいい天気でしたので、近所を散歩しつつ、写真なぞ撮っていました。
もう3月の終わりくらいじゃないかというくらい、温かく、綺麗に晴れ渡った空でした。

自分の趣味がいまいちハッキリしない自分ですが、散歩がわりと趣味かもしれないと最近思います。
サイクリングとかドライブとかもわりと好きなのですが、これも言ってみれば散歩の延長という感じで好きなのかもしれません。もしかすると旅行が好きだったのも、世界の放浪願望があるのも、結局は散歩したい願望の延長線なのかもしれないと思ったりもしています。

今日は絶好の散歩日和でした。
自分の家のごくごく近所をふらりと歩いただけですが、いい休日になった感じです。



普段から余計なことも含めていろいろ考えすぎな自分ですが、歩いているときも常に何かを考えています。むしろこういうときにこそいろいろアイデアが浮かんでくることもあるんですよね。

今日はただ歩くだけじゃなくて、適当にその辺の風景を撮りながら歩いていたので、余計にノスタルジックな方向で考えが進んだ感じですw
ただの一時しのぎのつもりで飛び込んだ今の家に住むようになって、次の春で早2年です。
ぼやぼやしていると、時間って本当にあっという間ですね。

自分が初めてこの土地に来た時と比べて、若干風景も変わりました。写真を撮りながら歩くと、余計にそのことを痛感しました。


今日写真を撮っていたのは、別に「いつかは変わってしまうから今のうちに撮っておこう」というわけではないんですけどねw
特に観光地でも何でもないその辺の路上の風景をいちいちそんな風にして撮ったりするのはさすがにだるいですw

でも自分はたまにこういう「その辺の日常風景を撮りたい」という気になって、実際に撮ったりもするんです。
以前に住んでいた土地でもたまにやったりしていました。

撮るのはそれこそ自分が毎日見ているような日常の景色。部屋の中の写真や家の窓から見える風景や自分の家の周りの景色、スーパーまでの道のりなどを撮ったりします。

別にどうということもない景色で、そんなもんをわざわざカメラで撮ったりしてるのである意味怪しい人ですw



以前、世界各地を旅行された方がブログで「誤解を恐れずに言えば、世界各地を歩いてみたけど、別に特別なものは何もなかった」というようなことをおっしゃっていました。
自分も何となくそんな気がします。理由は違うかもしれませんけど。

自分の場合、たとえ外国に行ったって、そこはファンタジーの世界なんかじゃなくて、同じ物理法則や似たような社会の仕組みで回っているという自分の日常の延長線上にある世界ですから、よほどのこだわりや嗜好がない限りはそうそう特別なものってないんじゃないかなと思うのです。

むしろ特別なものや景色というのは、自分が何気ない日常を積み重ねた自分の身の回りにこそあるのではないかと思ったりします。


だからこそ、たまーにですが自分の日常の風景が無性にノスタルジックに感じられるのですよ。
特に自分みたいに、未来の見通しがあんまり立っていないような人間には、「いつまでこの風景が自分の日常の景色であってくれるのだろう」と思えたりします。

四六時中ノスタルジーをやるわけにもいきませんが、年も明けたばかりですから、環境がもしかしたら変わるかも?というようなことを思えて、急に「自分の日常撮っときたい」願望に取り付かれたのかもしれませんw

まあいい天気でしたから気持ちよかったですし、いい運動にもなって言う事なしでした。