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NCの日記

コミュ障人生、試行錯誤の日記です

『サザエさんをさがして』

読書

サザエさんをさがして

朝日新聞社
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ちょっとした読み物です。朝日新聞の連載を一冊の本にした感じですね。
サザエさんの中で描かれているネタが実際いつ頃のどういう話なのか、コラム調で紹介されてます。
当時の状況を示す写真も一枚ついてますからわかりやすいですよ。

―――――――――

小さい頃、サザエさんを読んでいてネタにピンとこないことがけっこうあったんですよね。大人になると昔よりはわかるようになりましたが、たぶんちゃんとわかってないのもあると思います。

そういうときにいいのがこの一冊。
サザエさんって社会風刺的な側面もあるじゃないですか。完全に作者の想像、フィクションではないんですよね。サザエさんの一コマ一コマは確かにその当時存在した社会の何かを反映しているわけです。

その「何か」が何なのかというのをこの本は教えてくれます。
当時の出来事、社会の風潮、慣習。そんなものを写真つきで紹介してくれますから、「ああ、この話はこういう社会情勢を受けて描かれたものだったのか」とわかっておもしろいです。

話でしか知らない昭和の世界は、確かに現在と地続きの場所にあるのだということを感じます。


ちょっとした勉強になりますし、ちょっとした雑学ネタにもなります。
「今日も元気だ煙草がうまい!」のポスターとか、ワッペンブームとか、スキーに行く客でごった返す上野駅とか、光化学スモッグとか、カラーテレビを見るためにショーウィンドウ前にいる人達とか。そんなの。

こんな時代あったんだなぁととても遠く感じます。
今この瞬間も、やがては過去になり、やがて「歴史」と言われるようになってしまうんでしょうね。
これまでも何度か書いてきたことですが、当時の写真を見ると自分が「歴史」と勝手に呼んでいるものの正体は、今自分が毎日やっていることと全く同じだと感じます。楽しいような、むなしいような、規則正しく生きているような、怠惰に流されているだけのような、そんな不確かな人間の暮らしの集積以外の何物でもないのだと。

「歴史」なんて呼ぶとまるでアニメでも見ているかのようなフィクション性を感じますが、そんな薄っぺらいものではないんですよね。今のこの時代と同じように、今日も頑張ろうと気合入れたのに道行く車がはねた泥がズボンについただけで当分イライラして、ウマいもの食べてテレビでもみてりゃいつの間にか忘れて、今日も頑張ったと思うような今日も昨日と同じだったと思うような、そんな当たり前すぎる暮らし。

過ぎ去っていった名もなき大勢の人達の平凡な暮らしのことを「歴史」と便宜的に呼んでいるだけなのかなと。個人的体感でいえばまさにいろんなことがあった自分のこの人生も、大局的に見れば「名もなき人達の平凡な暮らし」のまさにテンプレ通りというかw

過ぎ去ってしまえば後には何も残らず、自分が辿った軌跡をたどることすらできず、歴史なんていう曖昧な言葉でくくられるものの中に消えていくのかと思うとむなしいような気もするんですが、何だか自分がとんでもなく巨大な寸劇の中の一キャラクターを演じさせてもらっているような気もして不思議な気分です。

生きているということは舞台の上に立っているということ。
案外舞台の上にいられる時間は一瞬なのかもしれませんね。
その一瞬で消えない何かを掴むのは至難の業で、大抵の人はてんやわんやするうちに降板する時間が来てしまうのかもしれません。



なんか話逸れましたねw
最近歴史に興味が移った気がします…。

まあ歴史好きのやつがこんなことを語り出してしまう程度にはその当時の空気の末端を感じられる一冊だった気がしますよw

個人的に印象に残ったのは「当時はなんでも売っていたデパート」というヤツで小象すら売っていたという写真。小象の額に「売約済」の張り紙がしてあって当時いかに勢いがあったかがわかります。

もう一つ、ちゃぶ台ってあるじゃないですか。あれって日本の伝統文化のように見えますが違うんだそうです。
時代劇とかで家族が同じ食卓を囲むことってしないじゃないですか。封建時代は自分用の小っちゃい台があって、その上にいろいろ載ってますよね。で、家族が一つの部屋には揃ってますが、なんか横一列に並んでるイメージないですか?w 家長が床の間の上座に座って…みたいな感じで。
家族全員で一つのテーブルを囲むっていうのは西洋文化で、それを日本流にアレンジした和洋折衷文化がちゃぶ台なんだそうで、わりと歴史は浅いみたいですよ。


サザエさんをさがして

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