NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

正月に考えてたこと

正月のTV番組で「満員電車に人を押しこむ人」の仕事の笑い話が紹介されてて、自分はむしろ「こんなことでも仕事になる世の中だったのなー」とそっちに驚きでした。

昔は不便な反面、不便だからこそいくらでも仕事はあったわけで。
今の世の中は便利な反面、便利だからこそ単純作業は仕事にならぬわけで。


タッチパネル式の自販機とかがあれば御用聞きの受付人間はいらなくなるわけで、世の中が便利になればなるほど、仕事がなくなっていくわけよなと。
そうなればできる仕事がなくて迷う人間が出てくるのも当然というか、今やっている仕事もいつまで仕事として成立するのか…ということを考えざるを得ませんでした。


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便利なゆえに仕事がなくなるという矛盾はなかなかに悩ましいですが、総合的に便利になった方がいいのは間違いないわけで、あとは自分達の意識の問題なのかなーと思う次第です。

ヘタな人間にやらせるより機械やテクノロジーにやらせた方が速度も精度も上回っているなら、ヘタな人間に噛ませるより機械やテクノロジーで置き換えた方が全体の利益にかなうわけで。

そういう全体像を理解しておらず、単にこれまでのように汗水たらして働いていない人間がいること自体が許せないという近眼的な批判を自分がうっかりやらないようにしたいところですが、、、

まあこれって価値観の分野にも若干踏み込むので、自分のアップデートなしには難しいのかなと。


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そういうことを突き詰めていくと、みんなが仕事に就けてるけど全体的には貧しい状況と、失業率は高いけどそれは人間が仕事をしなくても世の中が回るようにテクノロジーを挟んだ結果な状況なのと、どっちがいいのだろうと。

まるでブラックジョークですね。

便利になればなるほど自分の仕事はなくなるけど、全体の利益のためにあえて自分が無職に落ちることも時には必要なのだろうかとか思います。

自分が失業しないため、新しいテクノロジーを拒んだり、妨害したりするのは、どう考えても全体の利益を損なっているように感じますから。


ただ、そういう技術革新が自分が働いている分野でだけは起こって欲しくない…というのがみんなが内心考えてることじゃないかと。


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話は変わって、自分はわりと機械的なところがある人間なんですけど、そういう人間も機械やテクノロジーがマジで登場する世の中では値崩れが止まらない状況よなーと悩ましく思います。

機械的な人間は情や雰囲気に流されにくく、コンスタントにアウトプットを出せるというのが売りですが、マジモンの機械には敵いませんからね。

機械的な人間は情に厚い判断をしたり、自分で状況を判断して対応策を提案したりするのが苦手だったりするけど、今の世の中でわざわざ「人間」に仕事を頼むなら期待されてるのはこういうことだったりするわけですよね。


機械がなかった時代なら機械的人間もそれなりに需要があったんじゃないかと想像するところですが、それも機械やテクノロジーがいくらでも登場する世の中では、ね。




……というようなことを正月のTV見てつらつらと考えてましたw
昔はよかった、なんて結論で結びたくないので何とか落としどころを見つけたいところです。