NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

あれから6年

あの3.11の震災からもう6年経ったと知り、もうそんなにとも思ったし、まだそれだけしかたってないのかとも感じます。



自分はあの震災での影響なんてないに等しかったくらい遠くに住んでて、せいぜい当時勤めてた会社に必要な在庫が入ってこなくて(震災の影響で)、仕事が滞ってたくらいですかね。

当時は自分はまだ実家暮らしで衣食住も親任せでしたし、今よりももっとアスペのケも強かったし、あの震災を見ても「ふーん」くらいの感想だった気がします。




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昨日今日と、あの津波の映像を見て、あらためて自然の力が現代社会の当たり前を根こそぎ薙ぎ払っていく光景を見て、悲惨の一言だなと。そして怖いな自然はと。

今の自分は、毎日の当たり前の衣食住を自分で作る苦労を昔よりは知りましたからね。そうやって苦労して作ったものが、誰のせいにもできない自然災害で消えることの空しさ。やり場のない無力感があるなと。



今改めてみると、ショッキングな映像だなと思います。この世の終わりかと思う。

そして偶然見かけたテレビ映像でビックリしたのが「これから津波の映像を流します」という注意喚起があったこと。

確かにね、アレはトラウマものの映像だし、見たくない人もいるよねと。ようやくできた薄いかさぶたを爪でいじる必要はないわけで。こういう配慮もアリなのかなと思いました。


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悲惨な災害だったけど、こういうのが起こり得るのが普通で、それを前提に人生設計をした方がいいんだろうなと。毎日が便利すぎて、つい忘れがちになるけど。

今この瞬間にもどんな震災が起こるかわからんし、それで人生終わりになっても、誰のせいにもできないんよねと。


なにかやりたいことがあるなら、チャンスが来た時に実行するのがいいんだと思います。いつかいつかって言ってたら、本当にいつまでたってもできないですよ。

自分がやりたいことができるチャンスが来たら、もう半分無理やりにでも、意地でも予定入れて実行しないと、なかなかできないと思う。

あの震災を見て何か使命感を持った場合も同じで、もう半分意地で、無理やりにでも行動していかないと、なかなか毎日は変わらないかなと。

行動こそ究極の祈りって言葉、わりと好きです。




ただ、行動あるのみとはいっても、自分の夢や目標に関して昨日まで本当に何もしてなかった人が、今日から急に何か大きなことができることは、なかなかないとも思います。これもまた現実で。

今日1日でできることは、あくまで昨日までの自分の延長線上にあると思うんですよ。一度に大きく背伸びして無理やりなことすると、自分が大怪我したり、周りの人達の邪魔になったりとかね。


だから、何かしたいことがあったり、達成したい目標があるなら、それに向けての準備を毎日コツコツやるのがいいと思う。最初は小さなことでいいと思いますよ。

散らかりっぱなしの部屋を片付けるとか、掃除するとか、腕立てを毎日10回だけやるとか、本を5ページだけ毎日読むとか、そのレベルでもね。

そういう小さな毎日の行動が、やがてはやってきたチャンスを活かす下地になると思います。その行動や準備が、結果につながる具体的なものであればベターというところで。


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というようなことをつらつら考えてました。やっぱり自分はあの震災で自分が変わったとはあまり思えませんが、そういう人にも平等に時間は流れ、気づけば6年です。

いま日本中で地震起きてるし、あれから6年経って今もこうして、なんだかんだいって呑気に暮らせてるのは、幸せなことなんだろうなと。

コレを当たり前と思わず、贅沢病にかからないように気を付けられればとは思ってますね。