最近phaさんの本を読んで、懐かしい気分になりました。
持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られないposted with amazlet at 17.09.30
書いてあること自体はニートの歩き方に近い部分も多く、おなじみの人にとってはおなじみの内容。
内容も相変わらず響くところがあったし、久しぶりにphaさんの文章や考え方に触れていい感じに脱力できたなぁとか、自分がニートだったころとか当時の生活スタイルとか思い出したりとか、その辺の話です。
一応自由業だけど、感性は社畜のままだなと
自分はニートとかやると心を病むタチで、ニートとかもう無理でやる気なくて、できるだけ働きたいと思って生きてます。
でもphaさんももう元ニートって名乗っておられるときあるし、抑え目だけど一定の収入があることもこの本で語られてます。
なるべく働かないってスタイルでもこれくらい稼げるなら、無理に働く必要ないんじゃないかって久々に思いました。
あくまで建前上は自営業になる今、本当に何度も思うけど「仕事したつもり」「頑張ってるつもり」ってほとんど意味ないんですよね。皆無とは言わんけど。
1日分の売上を1時間で得られるなら残りは遊んでても全然いいし、逆に1日やってても雀の涙なら、その頑張りに意味があったかどうかは一回見直さないといけない。
でも自分はまだ働く時間とか時間帯とか、個人的な頑張りで満足感を得ている面が大きくて、なんとかならんかこの性根と思っていたわけで。
頑張って働いてるつもりでプライドみたいなのも一応あるけど、実際の収入はほんとお察しだし、なるべく働かないってスタイルの方でもアルバイトレベルの年収得てるって思ったら、そっちのがよくね?と。
結局自分がまだ本質的でない感性に囚われてるんだなぁと改めて思いました。
仕事って、農業とか医療とか一部の物を除くと娯楽に過ぎないって意見もどっかで見たことあるんですが、自分の今の仕事ってまさにそんな感じだなと。
全然収入が見合ってなくても、とりあえず朝から晩まで働いたら一定の満足感あって、精神的に満たされて。
これが正しいとか偉いとか言い出すといろいろアレだけど、結局自分は精神的な満足感を得るために仕事という娯楽を摂取してるんだろうなと、いろいろ悩ましかったです。
完璧でなくていいんだといい感じに脱力。おっさんになって感じるところ変わった
ニートの歩き方初めて読んだとき、そんなに完璧でなくていいんだって思ったけど、あのときは「ゆるく(自分一人で)生きていけばいいんだ」みたいなところに感じ入った記憶があるんですよ。
でも今、自分もオッサンになって親が倒れたらどうしようとか、結婚した兄弟とかに子供で来たら絶対「何やってるかわからんおじさん」って陰で言われるなとか、周辺の環境に対して焦りや不安みたいなのが大きくて。
そのせいもあってか、今回読んだとき、「ゆるく(周囲と上手に)生きていけばいいんだ」みたいに感じて、脱力できたポイントが違ったなと。
シェアハウスをゆるい老人ホームや子育てハウスとかにして、自分一人で老後の世話とか子育てを全部一人で抱え込まなくていいよみたいな、若いころにはあまりピンとこなかったアイデアにこそ、今回は沁みいった感じで。
今自分が主に不安を感じてるポイントが変わったんだなぁと。
若いころは自分のことしか考えてなかったけど、今は周りにも多少は目が向いて、その不安も同じようにゆるく考えてみてもいいかも?と、ちょっといい感じに脱力できた感じです。
シェアハウスニート時代を懐かしく思うけど、今あれをやろうと思うかは微妙
phaさんの意見ってやっぱりシェアハウスの利用が基本になってて、自分も昔はこれだと思ったけど、今はそうでもないんですよね。
当時のことってほんと楽しかったし生活も快適でよかったけど、いいことばかりでもなかったです。自分がいたハウスもけっこう最後グダグダな感じで、実は最後の頃、住人とちょっともめたりもしたし。
ゆるいからこそ入りやすいけど、もめたときは誰がどこまで責任持つかが曖昧で、結局ふわっと貧乏くじひかされたりするし、その辺はシェアハウスのつらいところ。
業者が管理してるハウスと違って管理人とかもいないから、住人同士のトラブルも基本セルフサービスだし。
シェアハウスをうまく使うには、そのハウスがうまく回ってるときに中にいて、人間関係とかがギスギスしたり、解散する前に脱出することだと思う。
解散するときもその物件の解約にかかった費用を誰がどこまで払うとか契約も規約もないし、たとえば家の一部を壊した住人がもういなくて連絡もつかないとかしたらどうする?って話なんですよ。
このときも誰がどこまで払うかとか、間に入って調整してくれる人もおらんし。下手すりゃ自分が大損こうむることもあるなと。
そういうあれこれもあるし、自分ってけっこう神経質なタチだなと思うようになって、あんまり人に近づきすぎん方がいいかもと最近思ってます。
そういうのもあって、今シェアハウス的スタイルには慎重になってるんですよね。もちろん興味はあるんだけど、同居人は前よりも選ぶと思う。わりと誰でもいいとはもう言わないですね。
ちょっと前に知り合いと同居できるかも?ってチャンスあったけど、結局見送りました。確かに経済的で合理的だけど、距離が近づきすぎるといろいろあるなと思うし。
それに、そのハウスをみんなで立ち上げたとか対等なメンバーになれるならまだしも、誰かの家に転がり込む的な感じだと、若干肩身が狭いというか、部屋の掃除とか自分がやらないといけないみたいな空気、やっぱりあるんですよね。
もちろん家賃はちゃんと等分したのを払ってるわけだけど、この辺も一緒に住む人の性格や考え方によっていろいろアレで。
っていうようなことも知ったからこそ、前よりも人の世話になるってことに慎重になってます。
シェアハウスに住むと結婚生活とかの練習になるところはあると思う
本にも書いてあったと思うけど、これは自分も住んでた当時思いました。やっぱり同じ家に住むとその人の素が出やすくて、外面とのギャップにびっくりすることあります。
この人のこういうところ、一緒に住まんとわからんかっただろうなと思って、そこは面白いなとは思いました。
でももし自分が女でこの人と結婚してこういう形になってたら、たぶん後悔したわって普通に思ったりとか。
人と一緒に住むって、それ自体が一種のストレスになったりもするから、合理的とかそういう理由だけで飛びつくのはよくないなと、この経験で学びましたよ。
まあ、異性と一緒に暮らすとかハードル高いって人でも、同性とシェアハウスで暮らすのはまだマシと思うから、機会あったらやってみるといいかもと思います。
生活習慣の違いでどうしてもストレスがあったりとか、結婚生活ツラいって言ってる人の気持ちってこれなのかなとか、この人はあくまで同居人であって家族じゃなくてよかったなとか、自然に思えますからねw
こういう予習めいた経験できたのは貴重でした。
そしてシェアハウスのつらいところとかも本に書いてあったけど、当時よりもわかるって思うところもあったりとか。
改めて、金に頼らない生き方に意識が向く
今頃になってちょっと人間的に落ち着いたせいで、今頃になってオッサンとしての責務に気づいちゃったりして、そのために金ももうちょっと必要だなと思って焦ってるところもあったんですが。
この本読んで、しばらく忘れてた金に頼らない生き方を久々に思い出した感じで。
いろいろ自分で試してみて、たぶん本に書いてあるアイデアを自分はそのままでは使えんと思うけど、金にすべてを頼らないこういう生き方もありかもよって言われて、ちょっと肩の力抜けてよかったです。