NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

「なんでもいい」となるべく言わないようにしている話

自分は以前よく「なんでもいい」って発想をしがちだったんですよね。雑だったとも言えるし、分不相応に「来たもので何とかすればいいんだ」的なマッチョ思考をしてたところもあったと思います。

でも何でもいいってやってみて、うまくいった記憶ってあまりなくて。むしろ何でもいいといったために余計な苦労をした記憶も多くてですね、最近では何でもいいとは極力言わないようにしてます。その辺の話です



「なんでもいい」だと大抵うまくいかないので

なんでもいいと言いつつも「まあこの辺のどれかが来るだろ」的な想定があると思うんですが、何でもいいっていうとその想定をはるかに超えるものが来る確率高いんですよね。

そうなるのは個人が想定できる範囲には限界があるからですし、コミュ障で世間知らずだと想定してる範囲が一般人よりもクッソ狭いという事情も絡んでると思います。

それもあって何でもいいと言ったら自分にとってあまりにも予想外のことが起きやすいというかね。


それに「なんでもいい」って言うと他人の出来心を刺激しやすいところもあると思うんですよ。

この状況ならこれが無難だろって相手もわかってたとしても、何でもいいと言われたからあえて普通はしないこっちにしよう的な斜め上の行動を招きやすいというかね。

そういう部分もあって、何でもいいだと予想外のことが起きやすいといいますか。



実際にこういうあれこれを体感したのって、自分の場合は賃貸部屋をさがしたときとか、あと仕事選びでもありましたね。

何でもいいと安易に選んだためにあまりにも予想外の状況に立たされ、トラブルも起きまくってクソ苦労したという。

その原因はもちろんいろいろあるのだけど、主要な原因の一つだったのは何でもいい的スタンスでいたことだったかなと。


こういう実体験のほかにネットでも似たようなの見ましたね。

恋人誰でもいいよ!みたいな形で募集すると浮気性・DV・メンヘラ(もちろん全員無職)みたいな、見事に普段敬遠されまくる人たちが殺到してアレだったみたいな。


こういうことがあるんで、うまくやりたいなら何でもいいってよほどのことがない限り口にしない方がいいなと最近は思ってるんですよ。


コミュ障=人一倍なんでもよくない人だと自戒

何でもいいで起こることは普通の人にとってもイマイチなことが多いと思うんですけど、ましてコミュ障という。

なんでもいいでやってくる予想外の出来事もすぐ慣れて適応できるとか、むしろそれらを楽しめるとかいう人もいると思うんですけど、自分のことをコミュ障だと思ってる人はそうでないことが多いと個人的には思ってます。


人一倍こだわりが強かったり社会性が低かったりで、自分の嗜好や予想とあまりにも違うものとうまく付き合えなかったりとか。

自分の言った「なんでも」がいざ目の前に現れたら、結局却下したり放置したり自分が逃げ出したりとか。

自分はそういう一面がかなりあると思ってるので、何でもいいとは人一倍言わない方が無難と自戒してます。



こういうところは自分よりも自分の周囲にいる人の方がよくわかってると思うんですよね。

周りの人から見て、明らかに何でもよくないはずの人が「なんでもいい」と言ってるのはわりとアレというか。

自分ではそうでないつもりでも、日頃の自分の言動からなんでもよくないのが周囲にはモロバレだったりもするので、そういう意味でもあまり何でもいいとは言わない方が無難かもなと自戒してます。



なんでもいいと言いがちだった理由とか心境とか

何でもいいと自分で言うことが多かった理由なんですけど、正直自分でも何がいいのかよくわからんと。だからひとまず何でもいいとよく言ってた気がしますね。

そう言うとすごい怠惰なスタンスに見えるけど、自分のことをコミュ障だと悩むくらい自分のことが謎すぎて、何がいいのか自分でも本当にわからないから選べないみたいな状況だったと思います。


でもやっぱりこれは怠惰だと言われても仕方ないというか。特に本気で自分のコミュ障ぶりとか特性とかに向き合ってない中でこういうことやってたなら、実際怠惰かなと。

周囲の人にとっては「(自分が謎すぎてよくわからんから、実際には何でもよくないけど)なんでもいいです」とか言われてもクソ面倒臭いですからねw

まあ子供のうちとか、若いうちとかはしゃーない部分もあると思うけど、ずっとそのままっていうのはちょっとアレかなと。誰より自分が損するんだしと。




何でもいいと言ってた理由はもう一個あって、自分に自信がなさすぎて、そんな自分が注文つけることに対して申し訳ないみたいな気持ちがあったんですよね。

今ならこれ勘違いだとわかるんですが、当時は相手を気遣ってむしろ何でもいいみたいに言ってたところもあったと思います。


それが気遣いにならないのは、明示されない自分のストライクゾーンを相手に探させるという余計な手間をかけさせて、結局相手の負担を増やしてるからなんですよね。

結局何でもよくないなら、素直に何がいいのかを具体的に言った方が相手からも喜ばれます。

気遣いがしたいならそっちに注力した方がいいわけで、相手に対して申し訳ないと思うならなおさら何がいいのかハッキリ言えという話で。


まあこういう無知や勘違いもあって何でもいいとよく言ってた感じですね。わりと黒歴史です。


なんでもいいと言わなくなってから

安易に何でもいいで流してた頃よりも自分で何がいいのかよく考えるようになったし、それが誤解なく伝わるように言い方にも注意するようになりました。

そして自分の希望と折り合わないだろう選択肢にはできるだけ手を出さない方向で考えるようになりました。

でもそのおかげで人生がものすごく好転したとか、そういうわけじゃないですね。自分ではこれがいいと思ったけど、実際にそれを手に入れてみると思ったのと違ったなってことも多いです。


それでも自分がちゃんと選ばなかったばかりに起きたあまりにも予想外ってトラブルやストレスが前よりは減ったと思います。

そしてほんの少しだけど、他人や周囲に振り回されてる感がちょっと減って、自分でうまく状況をコントロールできてるなと感じることもあったりとか。

それはちゃんと「これがいいです」って早めに表明したり、そのために自分の嗜好とかに目を向けたりして、折り合いがつかなさそうなら早めに手を打ってるからかなと。


めっちゃ効果あるとは言いませんけど、これは人生を好転させるライフハックというより、アレなことしてマイナスからのスタートになってるところをなるべくゼロからのスタートに持っていくような、つまりは一般常識に近いものかなと個人的には思ってますね。

知ってる人からしたら常識じゃん?って話だろうけど、自分はこれを自戒として今後も意識的にやっていく気がしてます。