今よりも自分のコミュ障感、世間知らず感が強かった時期、自分がいいなと思う人に限って周囲からの評判が悪かったりして、自分と周囲の評価のずれに戸惑ったりもしました。
それは周囲の言いがかりでもなくて、今思い返すとやっぱりその人微妙だろ、いや普通に地雷だろって思ったりします。
こういう当時の人を見る目のなさみたいな原因って、主に人の発言の方に注目してたことかなぁと思うんです。これのせいでうまく生きられず、人生が空回ってたところもあったかなと。
発言よりも人の行動の方を重視するようになってから、周囲と自分の評価のずれみたいなものは減った気がしますし、実際に自分が損することも減ったかなと。その辺の話です。
昔は人の発言だけで人を評価・判断してた気がする
他人様を評価・判断ってなんか偉そうかもだけど、誰と仲良くするか、逆に誰と距離置くかみたいな話ですね。
自分の周囲にいない相手でも同じことで、本を買うときやWEBの発言を見るときでも、その発言者がそもそも信じられるか、まともに話を聞くべき相手かって最初の段階でざっくりと判断してると思います。
そういう判断や評価をどうやってたかって、昔の自分はその人の発言だけでしてた気がするんですよね。
だからきれいなことやそれっぽいこと、聞こえのいいことを言う人=いい人、信じられる人、素晴らしい人みたいな評価になりがちで。
今にして思うと今日までよく自分は無事に生きてきたなと思わなくもないです(若干無事ではないですが)。
嘘偽りなく金言が多い人がいるのも事実ですが、口先だけでやってる人もかなり多いのが現実で。
人の発言だけで人を評価・判断していると、そういう口先だけのアレな人を信じやすくなるんですよね。
具体的にいうと一部の宗教家、詐欺師、ブロガー(アルファ、プロなどを含む)、オンラインサロン主、自称インフルエンサー、やたらマウント取る人、自称デキる人みたいな人たち。
これら人たちは口先だけの発言が先行しがちだし、やたら口のうまい人も多いです。
昔の自分は発言しか見てないわけですから、これら人たちこそすごい人だと思ってフォロワーになることが多かったですね。
発言見てるだけで実際にその人主催の集まりに行くとか、やたらWEBで目立つフォロワーになるとかはなかったです。生来のビビりコミュ障が逆に安全装置になってくれた感はあります。
行動にはあまりつながってなかっただけでその薄っぺらい発言を信じてたり、その人の書籍を買うとかはしちゃってましたが。
リアルで出会う人に対しても同じで、やたら大言壮語が多い人、即興でそれっぽいことをポンポン言えるだけみたいな人、過去の武勇伝ばかり語る人を「素晴らしい!」みたいにあがめがちで。
そうやっていいなと思ってた相手に対して、周囲からの評判はそんなに良くないとか、ハッキリ悪いとか、そういうの多くて、当時の自分も「アレ?」みたいに思ったりはしてました。
しかもその批判をしてる人っていうのが、むやみに人を悪く言わないような人だったり、
実際に現場にいる実務家だったりと、「この人がいうのはちょっと気になるぞ」って人たちからも批判の声が多くて、自分としても気になってました。
実際にアレな人を信じて特にいいことはなかった
口でいうほどには行動や結果が伴わないアレな人たちを信じて、そんなにいいことはなかったですね。振り回されるばかりでした。
結局は口先のうまさだけなので、その人たちの言うことは普通に間違ってることも多かったですし、当時の自分を特に救うものではなかったと今にしてみると思います。
そして自分は段取り通りに話が進むことに快感を覚える性癖があるので、でかいことやきれいなことを語るわりには、まったくそれが実現しないことに対するストレスはかなりデカかったです。
実現性の薄い話に付き合って結局は時間も無駄にしましたし、それが原因で金もちょっとなくしてますね。大金ではないですが。
当時の自分は大概だったので、こういう現実を前にすぐ目が覚めたとまではいきませんでしたが、やっぱり違和感は持ってたと思います。今となっては十分すぎる黒歴史ですかね。
どんな目に遭うかはその相手のタイプと本人の人間性や投じたリソースに応じて変わるでしょうけど、口だけ的な人を信じていいことはあまりない気がします。
行動こそがその人の本音と思ってそっちに注目するようになった
人って言ってることとやってることが食い違うとき、本音に近いのはだいたい行動の方かなと今は思ってます。
マックでヘルシーなメニューが欲しいという意見があるから作ったら誰も買わんかったっていう話をどっかで見た気がするんですけど、まあこういうやつですね。
人の発言と行動は必ずしも一致しないもので。悪意や他意なくそうなることも多いし、ポジショントーク・セールストークなど意識的にそれをやってるアレな人たちもいるしと。
このときにどっちを信じるべきか、昔の自分は決められなかったと思いますけど、今はもう行動の方が本音に近いと思ってます。
もちろんそうじゃないこともあるだろうけど、少なくとも地雷な人に引っかからないためにはこれが有効かなと思うことが最近は多いです。
自分がこれまで引っかかってきたアレな人は発言ばかり立派で行動の方はほとんど伴わなかったり、なんかはしてるけど斜め上だったりしてたので。
だからもう基本的には行動がその人の本音に近いと個人的には判断してます。本音というよりは本質や本性、実情ともいえるかもです。
そう思ってても口がうまい人や人の気持ちをくすぐるのがうまい人っているもので、ああこの人はその手の人かなと思ったら意図的に発言をオールスルーして、意識して行動だけ見てるときもあります。
行動で人を判断するのは世の中でもよく行われてることと思う
気づいてみれば行動で人を評価・判断するって世の中でもよく行われてることかもなと。
- 就職面接で過去の経歴や実績を見られる
- ローンやクレジットカードに申し込んだら過去の滞納歴とか見られる
これってどっちもその人の過去の行動が見られてるわけで。
そしてどっちかといえばこっちの比重の方が大きくて、過去の経歴や実績がいまいちだったり、過去に返済を滞納してたりすると就職やローンはハードル上がると。
これから何かするとき、当然口先ではお行儀のいいこと言う人がほとんどだと思いますけど、それが口先だけの言葉でないか、その人の過去の行動を見て総合的に判断されてるわけだなぁと。
こういうことを自分でもやればいいという話だなと思ったわけです。自分が観測した範囲でその人の行動を重点的に見て判断すればいいと。
とはいえ就職面接とかローンの審査とかと違って相手に過去の行動をわざわざ申告させるなんて場面は日常でなかなかないわけで。
相手の行動の観測ができないときとか、データがないときはどうするかは悩みどころですけど、このときはお試しで相手に行動させてみるか(それがお試しということは相手に伏せて)、過去の行動がわからない相手は基本的にスルーする(信じない)かかなぁと。
行動の方を重視するようになってから
前は聞こえのいいことを言う人にはホイホイついていくことが多かったんですが、最近は前よりは慎重になってます。
いったん付き合いを持つことがあっても、意識的に信用はしないようにしてます。付き合いが浅いうちは慎重に相手の行動を見て、その行動次第で今後の付き合いを考えるようにしてますね。
そしてアレな人への見切りは早くなりました。
昔の自分なら相手の口のうまさにごまかされて、こちらにはほぼメリットのない付き合いをずるずる続けてた場面でも、行動だけ見て地雷だなと思ったら早めにパージするか、少なくとも優先度は下げるようになってます。
行動が伴わない人、発言がきれいなわりに行動が地雷な人とはそもそも付き合わず、積極的に距離を置くようにもなってます。
あと、自分は発言を真に受けることが多かったので本音と社交辞令の区別がつきにくかったんですが、これも前よりスルー出来るようになりましたね。
何かきれいなこと言われても「まあそれ社交辞令かもだし」と思ってほぼスルーしてます。
その発言が本当だったらまあそんときまた考えようと。
ささいなことですけど、自分にはわりとストレスだったのでこれもいい変化だと個人的には思ってます。
昔の自分にとって違和感だった自分と周囲との評価のずれもだいぶ修正されましたね。発言は立派だけど批判の多い人物とか見ても「そらそうよ」と思うことは増えてます。
こういういい変化もあったんですけど、行動で判断することの有効性を実感すると、過去にたいしたことしてない自分にとっては若干のブーメランになってるのは悩ましいところです。
よくわからない生き方をしてると他人様の信頼をもらえるような行動の履歴があまりないわけで。客観的にこの自分を信じられるかというと難しいよなと。
そういう実感を得てつらくもありましたけど、まあひとまず振り回されにくくなったのはよかったなと個人的には思ってます。