NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

時代はちょっとずつ変わってるんだなと実感

先日、かなり年の離れた親戚と話す機会があり、話の流れで昔の職場の雰囲気のことを聞きました。昔は飲み会強制だったなど、「オエーッ!!!」と思うような話ばかりでした。

それを聞いて、ああ、ちゃんと時代って変わってるんだなと、ふと実感しました。今ある不合理も、ちょっとずつ変えていけるし、嫌でも変わっていくのかもなと。

昔の話に「オエッーーー!!!」

聞いた話は、主に職場の雰囲気。

・飲み会は強制
・社員旅行も強制

昔はもうこれらには行くのが常識で、「断るなんてありえない。みんなから白い目で見られるから、しぶしぶ行ってた」みたいなことを聞きました。

これらの話は説教として言われたのではありません。「昔はこうだったよー」という一種の笑い話的なノリで聞かせてもらいました。それを聞いて、自分は内心「オエッーーーーーー!!!!」と白目むいてました。


特にアレだったのは「社員旅行」。これ、費用は自腹だったんスね。「社員旅行費」的な名目で給料から天引きされており、その積立金を使って旅行に行ってた的な。なにそれ怖い。



で、こういう文化に対して、その時代の人たちも皆「内心イヤだった」、「白い目で見られるから嫌々つきあってた」らしいですよ。ああなんだ、みんな結局イヤだったんじゃんと。

こういう「みんな嫌がってるのに、みんなそれを止めない」みたいな文化って、本当に謎です。「せーの」で皆一斉に辞めればいいのにねと、アスペ的な感想。

ま、なんかあったんでしょうね。「わかってるけどやめられない」という面倒な事情が。それはなんだったんだろう。ムラ社会的な何かだったんだろうか。




自分も十分にもうオッサンですけど、それでもこれらの話は「前近代的」だと思います。ついでに、別の話も思い出してましたし。

・タバコ吸わない男はバカにされる
・左利きは障害者だと言われる

昔は、こうだったんですよね。タバコを吸わない男は職場とかでバカにされてたし、左利きの人は障害者だと思われてたから、無理やり矯正されてたり。

こういうのと合わせて、ほんっっとに、昔に生まれなくてよかったと。


時代は変わってるんだなぁと実感

昔の空気をリアルに知っている方の話は、今の時代と違い過ぎて、「ああ、時代って変わっていくんだなぁ」とすごい自然に思えました。今は昔ほど、強制的な文化ってなくなってるなぁと。


飲み会はまだまだ賛否両論ありますけど、昔は「飲み会いくべし」がほぼ100%に近かったんでしょうからね。「否」の部分が出てきてるだけ、進歩してるなぁと。

社員旅行は、どうなんですかね。自分は行かされたことないし、聞いたこともありません。(本当はみんな行きたくないのに強制する系の)社員旅行がまだあったら、化石でも見つけたような気分になる気がします。



ちなみに、話を聞かせてくれた親戚が定年退職する少し前くらいには、こういう「謎の強制文化」はなくなりつつあったとも聞きました。

「今日は都合悪いので飲み会スンマセンー」みたいな軽いノリで、飲み会に出ない若者も多かったし、それを白い目で見る人もいなくなってたと。

社員旅行も一応残ってたけど、行かない人が多すぎてツアーを組めなくなったり、結局実行されなくて積立金が全額返金されたりで、事実上なくなってたと。

「最近はだいぶ空気が変わってたよ」と、親戚も笑ってました。



その他の話も同じで、タバコを吸わなくてもバカにされないし、左利きだからといって障害者扱いされることもありません。

今の世の中で「タバコ吸わない奴はバカ」とか、「左利きの奴は障害者」とか言ったら、間違いなく炎上でしょうね。地位ある人の失言だったら、ヘタすると辞任レベルの。



今の世の中を当たり前だと思ってしまうけど、昔はそうじゃなかったんだよなと。ちょっとずつ変わっていって、昔よりずっとマシになった今があるんだよなと、しみじみ実感。


今の不合理もこれから変わっていくのかもなぁと

昔と今を比べて「今の方がマシ」と思うと、未来にちょっと希望が持てますね。今ある不合理も「将来的にはなくなるかもな」と。


たとえば、自分がここ数年やってた「在宅仕事」に対する偏見。毎日家にいるとそれだけでニートや引きこもりと間違えられたり、「時間に融通が利く」とか、「基本ヒマなんでしょ?」とか、「遊んでる」とか、そういう目で見られることが多いです。

在宅仕事も死ぬほど忙しいときもあるし、いつも自分の都合を優先できるわけではないですよ。ただ家で仕事してるだけで、下に見られている感はありますね。

こういうのも、「仕事は出勤ありきだった。出勤しない仕事は白い目で見られてた」とか、いつか言われるようになるのかもなと。


発達障害もこんな感じで、「昔は空気が読めないだけで障害者扱いだった」と言われる世の中が来るかもなと、ちょっと思えました。この手の人達も特定の偏りがあるだけで、後は普通なんですよね。少しの工夫で、普通に対応できることもありますから。

「作業指示書がイラスト付きで書いてある」とか、「主語や述語を明確にする」とかが常識になって、発達障害者と呼ばれる人達でも不自由なく暮らせる世の中になると、その他大勢の人達もより生きやすくなるように思いますよ。

一部の少数者にとって使いやすいデザインは、その他大勢にとっても使いやすかったりしますからね。バリアフリー住宅とか、ノンステップの乗り物とか。そんな風になるのかな、先はかなり長そうだけど。




今はネットがあるので、時代が変わりやすくなったとは思います。情報はすぐ手に入るし、声を上げるのも簡単。昔よりはずっと速いペースで常識を変えられる時代になったのだなと。

もしネットがなかったら、自分はまだ「発達障害」という言葉を知らなかったと思うし、自分がその手の人間だと自覚もなかったと思います。

自分は世間知らずの人間ですが、そんな人間の元にまで「発達障害」というマイナー情報が届く時点で、この分野も徐々に常識化しつつあるのだろうなとも思っています。



まだまだ不合理なことも多いけど、今は「ネット」ってツールもあるし、「今はまだまだ、不合理を徐々に変えている過渡期だ」という実感を少し得られた出来事でした。