最近、またちょっと意識して菜食をやってみたり、菜食いいよとか、逆に体壊したとかの話を読んだり、健康法や菜食について考えてました。
思うけど、健康法って個人の時系列の中で効果があった・なかった・逆効果だったが判断されるので、なんか難しいんですよねぇ。
「健康法Xをやった俺・やらなかった俺」を同時比較できないわけで、結局「健康法Xをやった時期・やらなかった時期」を比べるしかないという。
やった時期がずれると、よくわからなくなるんです。
というのも、健康法Xをやってる時期に限って仕事がクソ忙しく、生活が乱れてたり、ストレス溜まりまくってたりで調子を崩し気味・・・みたいなことが実際には頻発するわけで。
もちろんその逆もあります。
結局、健康法Xの効果を自分で確かめるには
それをやる
↓
やめる
↓
またやる
↓
やめる
みたいなサイクルを回して、やってる時に必ず出る効果・やめてるときに必ず出る効果みたいなのをまとめるしかなく、すげぇ時間かかるのがツラい。
そうこうするうちに年も取るわけで、すると「今調子悪いのは健康法Xの悪影響か、それとも単なる加齢か」みたいな問題も混ざり始め、ますます自分ではわからなくなってくるのがw
また、菜食も5年以上続けて、初めて体壊したみたいな話も見かけるし、ちょっとやってみて効果があればそれで死ぬまでイケるとも限らないのが、また面倒な話で。
健康法Xの継続期間や、実践する人の年齢とかによっても効果の表れが変わるなら、もうホントに気が遠くなるような組み合わせがあるわけで。
もう、心折れてもいいよね?みたいなw
結局、「いろいろやったけどよくわからんw」みたいなふわっとした結論に落ち着くなーというのが、ここ何年か健康法に取り組んでの正直な感想。
そして、あらゆる可能性に翻弄されつつ、ようやく見つけた健康法も、他人様から見れば「ぼくの見つけた最強の健康法!」ぐらいの価値で、「まあそういう人もいるよね」くらいにまとめられるという賽の河原感。むくわれねぇw
健康法ってホント難しい。
健康法Xを提唱した人が60代あたりでコロッと急死したり、大病で亡くなったりという話もあり、まことしやかに「意味ないんでは?」的な声もたまに聞きます。
これもその事実だけでは何とも言えんよねと。
本当は20~30代でコロッと死んでたか、病気がちで可処分時間の少なすぎる人生送ってたかもしれん人が、健康法Xの効果で60代あたりまでは普通に楽しく暮らせたのだとしたら、効果十分だよねと自分は思います。
実際どうだったのかは本人にしかわからんか、本人にもわからんかもしれんわけで。
健康法Xがアリかナシかの判断が、結局、個人の時系列比較に頼るしかないって、つらいことだなーと思います。
かといって、何かの健康法をやる人は、それなりの事情があるわけで。
面倒くさいからといって健康の研究をやめるわけにもいかず、でも時間は有限で、体は一つしかなく、試せる健康法にも限りがあり、そしてやってみた健康法が当たるかどうかで人生は大違いになるわけで。
人生ってけっこう大バクチよなーと思ったりもします。