NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

毎日の衣食住に大きな問題がないのは十分な幸せだよね。退屈だけど

ギリッギリの暮らしをまだ続けてて、あれが足りない、これが足りないってなってます。詳細を書くと「貧しい・・・」って感想しか出ないと思いますけど、元がニート生活ですからね。

そうやってツギハギだらけの生活を続けてるうち、衣食住が一応うまく回る時期もあります。そんなとき、「やったー、俺すげぇ」ってならずに、「・・・退屈だ。死にたい」ってなるのが業の深いところで。


うまくいきすぎると急にこの毎日が退屈になって、すべてを投げ出したくなるんですよね。実際そうやってすべてを投げ出したことも過去にあります。

で、実は近くにあった幸せを失って、「なんで俺はあんなことを」って後悔したりとか。毎日の生活を退屈がれるのはある種の幸せで、一種のゼータク病なのかなと思ったりもするんですよ。




毎日問題が起きないだけでも十分に幸せだよねと

毎日何事も起きず、よく言えば穏やかに、悪く言えば退屈にすぎていく日々。これって十分に幸せなことなんだよねと、多少はアレコレあって理解しました。

たとえば夜中に隣の奴のサルのような絶叫で起こされたりとか、そういうのなくて耳栓ナシですやすや寝れたりとか、決して当たり前じゃないんだと。

どれだけ退屈だと思っても、ある程度好きなもの食べれて、ギリギリだけと一応仕事もあって、毎日ゲームとかアニメとか適度に娯楽も楽しめて、自分も病気とかなくて、これって十分幸せなんだなと。退屈だけど。



っていうのも、自分の想像をはるかに超えるヒデェ環境や事案って、ホントすぐ近くにあって。そういうのと縁ができちゃってても何もおかしくなくて。

WEBで見たけど、こういう例ね。


togetter.com

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ataso01.hatenablog.com




灰皿投げてくるとか、さすがに自分は経験ないですね・・・。昔飲食で働いてたとき、キレるとライス盛った皿カウンターに叩きつける店長はいました。

自分の経験した例だと、昔いたブラック企業で暴言と八つ当たりばっかの上司に当たったのと、昔住んでたぼろアパートで隣にうるせーのが来て、毎晩人呼んだりとか。

あとはそのアパートの駐車場で昼間、夜中にブンブン走り回ってる改造単車の試し乗りしてるやついたりとか、爆音鳴らして帰ってくる車とか、そういうの。



こういう環境に置かれると心身を異常に消耗するわけで。退屈はしないけど幸せからはほど遠いわけでしてね・・・。


悲惨な環境って予測不能、回避不能なこともあるし

これらの是非はさておき、こういう環境ってホントすぐそばにあるし、それがそうだと事前に予測するのも難しいと思うんですよ。


最近、自分が前に住んでた例のぼろアパートの近くを通りかかったことがあったんですが、ここでそんな地獄のような毎日が送られているとは、見た目じゃホントわからないw

見た目はホント普通のアパートです。しれっと建ってますw


知り合いが勤めてた、地元じゃ有名な超絶ブラック企業も、見た目じゃホントわからないですよ。自分はそれ知ってるので、へー、あそこで毎日○○やら××やら起きてるのかーと、他人事でいられますが・・・。

いや、トラップすぎるだろとw




そして自分が経験した「隣人が地雷」っていうのは、自分じゃもうコントロール不能な案件なわけですし。上司とか部下とか同僚とか取引先とか、全部そうだけど。

もうどうやっても回避不能なヒデェ事案もあって、そういうのっていつ、どの方面から飛んでくるかわからんですよw

それに当たると、「当たり前の日常って、こうやってアッサリ終わっちまうんだな・・・」って、わりと一瞬で思えます。


衣食住が問題なく回ってるのはひとまずの幸せ。退屈だけど


異常に心身を消耗する問題がなく、自分の衣食住が毎日問題なく回ってるのは、ひとまずは幸せなことだとやっぱり思います。それが人生のゴールだとまでは言いませんけどね。

衣食住が最低限回ってる「だけ」で、自分の生きがいややりがいを感じられないような毎日だと、人生が消化試合化するって感じですかね。


住む場所があり、着る物があり、食う物もあるけど、だからなんなんだ・・・?みたいな、哲学の道に迷いこむような感じで。贅沢な悩みかもですけど。

自分はニートでいると精神崩壊する面倒なタチなので、そう思うのかもしれません。そうじゃない人は、衣食住がとりあえず回るだけで十分って感じなんですかね?



このままでいいのか?みたいな迷いが出てきて、今持ってるものをすべてブン投げそうになったら、とりあえずWEBで悲惨な体験談とかを探してみるといいかもなと思ってます。ブラック企業絶賛お勤め中みたいなやつ。

自分より下の奴見て安心ってわけじゃないけど、そういう例をみると、自分が今持ってるものがそんなに悪いものじゃないって再確認できる感じで。

むしろそういうヒデェ案件や環境を意図的にオミットして、意識して今の環境を作り上げたなら、それはある程度は自分の成果と言っていいよなと。100%自分の手柄でないにせよ。



そして「オレはまだいい方だな」っていうよりは、「こういう悲惨な目に今遭っててもおかしくないんだ、明日から自分もこういう環境に置かれてもおかしくないんだ」って、再確認できる感じもします。

そしたら退屈に負けて、すべてをブン投げたい欲もちょっと収まります。明日にも深い谷に転落するかもしれんのに、わざわざ自分から裸一貫で谷にダイブする必要ないよねと。

それよりも谷に落ちたときのための非常食やサバイバルグッズを、余裕のある今のうちに用意しとけばいいよね、みたいな感じに思えて。




衣食住がうまく回り始めたら、こうやって意識して自分の幸せとその有限ぶりを再確認しつつ、自分で自分の尻叩いていかないと、身近にあった幸せをまた失って後悔しそうで怖いんですよね。ちょっとトラウマになってるかもです。

やっぱり自分の衣食住がとりあえず問題なく回ってるのは幸せなこと、というのが今の結論です。


ただ、人は適度に未知の部分がないと退屈して、逆にやる気がなくなるという話もあるらしいので(ソースは本)、いつも通りにただ食えればいい、ただ住めればいいというわけにもいかないのかなと。

もしそうなら人間って面倒ですわーという感想ですよ。ギブミーサーカス。