NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

どんな生活でも時間の使い方って大事。5年くらい経つとだいぶ痛感

今の生活を始めて早5年。最後に勤め人をしてたのはもう5年以上前とわかって、ずいぶん経ったなと思います。

今の生活をまとめると、在宅ワークなどによるその日暮らしって感じで。コレを始めたときこんなに長く続くとは思ってなかったんですけど、水が合ったようで今日に至ります。


深い考えがあったわけじゃなかったです。他にやれそうなこともなかったし、行くアテもなかったので。

でもこの生活も、もう5年。得たものもあれば、失う物もあったわけで。どんな生活でも時間の使い方って大事だな、それでずいぶん差がつくよなぁという話です。



自分がこの5年間でやってたこと

今の生活に入ったのは20代の半ばくらいで、最後に仕事を辞めた時、俺はもう二度と勤め人には戻らんと決めて辞めたんですよね。

当時はアスペに関する知識がなくて、他人との距離感もあまりうまくとれなかったりとか。そういう些細なストレスや不満が爆発したのがきっかけで。

健康に対する不安や不満も当時はめっちゃ持ってたのを思い出します。これも当時の絶望感につながってたんですよね。



で、今の生活に入って、知り合いの家に転がり込んでニートして、在宅ワークして、その後は一人暮らしに戻って、在宅ワークしながらの隠居暮らし。

ハッキリいえば、社会的なつながりとかいろんなことブン投げて、わずかな収入で極貧のその日暮らしをしてたって感じですね。

わずかに残ったお小遣い使って、行ってみたかった場所へ行ってみたり、やってみたかったことをやってみたりと。



健康法に関する試行錯誤とかもやってたし、自分で積極的に世の中のことを知ろうとし始めたのも、この頃でした。

この生活を始めた頃の充実感はかなりのもんで、当時はそれなりに今の生活を楽しんでいました。


この生活のおかげで得たのは、短期的な人生の満足感とか、個人的な疑問の解消とか、自己責任の生き方とか仕事術とか


この生活をやったおかげで、自分はかなり気が済んだ感じがします。東京とかに行ってみたいとか、旅するように暮らしてみたいとか、やってみたかったことちょっとやれたので。

衣食足りて礼節を知る的な話で、自分の中にあったドロドロした感情が若干浄化されたのもあって、最近はちょっと人として落ち着いた気もします。



あと大きかったのは、発達障害についての一連の知識。これのおかげで、長年ずっとあった疑問や不満が、芋づる式にかなり解決してます。

最近は前よりも他人や世の中と折り合えるようになったし、自分の中でもストレスが減りました。

履歴書とかに書ける内容じゃないけど、これはこの5年間の大きな収穫でしたね。

あとは、一応形の上では自営業者として仕事してたので、その関係で、良くも悪くも自己責任となる生き方をより実感してます。




この生活のおかげで失くしたのは、人生の選択肢や、これまで持ってたセーフティネットや、社会的スキルとか


この生活で得たものはちゃんとあったワケだけど、最近はこっちの失くした物の方を大きく感じることも多いです。



一番大きいのは、人並みの人生の選択肢を本格的に失くしたなってことで。これは人としてちょっと落ちついて、周囲との折り合いが若干ついたから思うことだと思うんですが。

勤め人的な生き方で言えば、本当に自分はもうそっちの生き方かなりを失くしたのだなと、最近本当に思います。そもそも年齢制限とかに引っかかり始める感じですからね。


5年前は「それがどうした!?こっちからお断りだわ!!」みたいに思ってたんですが。少なくとも勤め人にはもうあまり戻れないから、あとはできるだけそれ以外の道だけでやるしかないというこの状況。

立たされてみると、けっこうきついよねと。どれを選ぶかはさておき、選択肢が多いのはそれ自体が一種のセーフティネットだよねと、最近は思います。

自分はコッチしか選ばないと思っても、5~10年経つと心境も変わります。今この瞬間の自分に向いてる道が、昔の自分の選択のせいで消えているのは、けっこうアレ。




そして、この5年間の生活ができたのは、「自分がまだ(ギリギリ)若い」とか、「実家が近くにあって両親が健在」とか、「その気になれば勤め人もまだ狙える」とか、そういう条件がセーフティネットになってたんですよね。

それがあったから本人は気軽にこの生活を送れたし、問題があってもどうにかなったりとか。


で、この5年間でそのセーフティネットを若干使い果たした感もあって、それがなくなった今、この生活が若干きつくなった感あります。

今の生活は自分でデザインしてきたと思ってたけど、こういうセーフティネットが前提の生活だったのかと、いまさらながらちょっと気落ちしています。




そして社会的スキルも、正直微妙でしょうね。自営業者としていろいろやってることはありますけど、そういうのも独学に近いところもあって。

その業界の第一線で使えるような専門性かといえばそうでもなく、中途半端感はやっぱりね。で、新卒社会人がやるような基礎スキルも微妙なわけで、こりゃどうしようもねぇと。


長すぎる厨二を過ごして、こういう実務上の必要スキルとかを敬遠してたところはあったので、なるべくしてなった結果ですけどね。

からしゃーないけど、実生活で必要なスキルや経験を中心に失ってるよなぁというのが、この5年間の結果ですよ。



自然に遠のいて行った昔の友人・知人たちの背中

自分のこの5年間って、どうだったんだろうなぁと思ったりするのは、ネットで昔の友人・知人の近況を知ったこともあるんですよ。

ネット全盛の時代のすごいところは、昔の知り合いの近況とかわかることなんですよね。ふと「あいつどうしてるんだろ」と思って検索したら、ヒットした人もいたりとか。

高校時代の知り合いに1人、大学時代の友人が1人、ネットで見つかりました。ネットすげぇ!ちょっと怖い!!

その人達の近況を見ると、昔同じ場所にいて、似たようなことで笑って、悩んで、ムカついてたりしてたのがウソのように、遠くに行っちゃったなぁと。




高校時代の知り合いは、クラスは違ったけど友達の友達的な感じでちょっと話すように。その子は「タレントになりたい」って当時から言ってて、大学に行かずに養成所入ると言ってました。

で、名古屋に友達がいるとかで、その子とルームシェアしながら養成所に通うと言って卒業後は本当に旅立っていきました。自分との仲はそこで終了した感じで。

で、最近その子の名前で検索したら、ブログがヒットしたんですよね。ちょっと方向は変わってたけど、やっぱりタレント系の仕事してました。

お仕事風景の写真ちょっと載ってたけど、顔とか変わってなくて「おおw」という感じで。勤め人ではない人生への不安も若干綴られてたけど、高校時代からの夢をちょっと叶えてるんだなぁと。




もう1人の方は大学時代の友人で、たぶん一番よく遊んだ相手なんですよね。ちなみに当時はオタクしてて、自分がアニメとか見るようになったのはコイツの影響だったりとか。

で、こいつはずっと博物館とかに就職したいって、大学1年の頃からもう言ってたんですよね。で、そのために当時からもう大学院に行くの前提で勉強してたりとか。

4年間、本当によく一緒にアニメ見たりしたけど、見えないところではちゃんと勉強もしてたようで、第一志望の大学院に余裕で受かって進学していきました。

かなり遠方の大学に行ったのもあって、自分との付き合いはもうほぼ途切れてるんですけど、やっぱり夢をかなえたようで、希望とはちょっと違ってたけどやっぱり博物館に就職してましたね。




二人ともすごい遠くに行った感じだし、不安はあれどもかなり忙しい毎日を送っているようで、なんかもう遠い外国に行った並みに遠くに行っちゃったなぁと。

なんか、昔同じ場所にいたとは思えないくらいだけど、でもよく考えたらあの当時から「こうなりたい」って2人とも言ってたわけで。

そう思って当時を思い返すと、自分と同じ場所にいたようで、自分とは考え方や行動が確かに違ってたなと。もうかなりうろ覚えですけどね。

そういう些細な違いに「5~10年」っていう時間が加われば、はっきりした立場の違いになってくるのかなと。なんとなくだけどそう感じた次第です。



この5年間を振り返って


この5年が失敗だったとはあまり言いたくないけど、正解でもなかったなとは、もうごましきれなくなってる自分の本音で。

言ってみれば、これは5年前の自分が今以降の自分の可能性を先食いしたって感じです。おいおい頼むぜ。



特に何か専門性を身に着けるなら、20代という時間は実務の基礎を積み重ねる時間だったわけで。コレが微妙だと、30代以降になにかを積み重ねるのは難しくなるんですよね。不可能だとは言わんけど。

その絶好のボーナスタイムを正直よくわからないことに使ったわけで、やっぱりこれは後になるほどきつくなるだろうなぁと最近思ってます。


これから体力も気力も頭のキレも、落ちることはあっても上がることはほぼないわけですし。

「年とっても何度でもやり直せる」のは一応事実だけど、若いころからちゃんと基礎積んできた人にはなかなか追いつけるもんじゃないし、体力気力が大幅に落ちた後でのリスタートになるわけで、体感的な負担は相当なもんよと。




でもまぁ、5年前の自分の決断に助けられたと思うこともありました。

自分もかなりいい歳なわけですが、同い年の地元の友人がちょっとの間ニートに転落したとき、家族からめっちゃせっつかれると(そいつは実家暮らし)

その愚痴をいろいろ聞いてて、5年前のあの日、自分が逃げるように実家を飛び出さなかったら、この5年間は自分もこういう環境に置かれてたのかもとちょっと思いました。


この5年間、最初のニート期間はさておき、一応仕事を始めた後もうまくいかない時期があったわけで。当時は心身の調子も悪くて本当にきつかったけど、あのとき実家いたら死体蹴りに近いことされたんだろうなと。

そう思ったら、なにがあっても実家を出て、もう死んでも戻るかと出て行った自分の決断は、その後の自分を助けてくれたところもあったんだろうなとは思います。


健康法とかコミュ障関連の知識とか、一人暮らしで落ち着いて模索してたからわかったところもあって、横やりのない環境って大事でしたね。

そういうので落ち着いて社会性も少しは身についたからこそ、今頃になって現在の生活スタイルに疑問を持つようになったとも言えますし、いろいろ複雑です。強くてニューゲームを所望。



今後の方針とか

自分にとって最善の道ってたぶんもう選ぶのが難しくなってると思うんだけど、だからもう人生オワタというより、これからでも選べる次善を選んでいくって感じですかね。

この5年間は結果的に未来の自分の可能性を先食いしたとこが大きかったけど、これからは5~10年先の自分がなるべく満足する道を探っていくと思います。


で、この5年間に自分の言い訳になってたのが「明日にも死ぬかもしれない」的なアレで。これも一応事実で、車にはねられかけたりとか、どう警戒しても避けられないリスクはありますよね。

それは確かに事実だけど、そう思って生活して気づけば5年経ってるわけでね。


でもまあ、明日こそ死ぬかもしれんし、老後のために今生きてるんじゃないっていうのも一面の事実なので。

だから5~10年後は生きてることを基本的には想定しつつも、その時々でやりたいことがあったら、無理やりでも時間作って実行する的なね。

なんか玉虫色の答弁みたいになったけど、AもBもどっちも事実という中で、この両方をバランスよく実行するっていうの、最近できるようになってきた気がします。



こんなことを考えてたせいか、こういうエントリが心に沁みましたw

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自分も年齢相応に、細く長く生きる方へとシフトしてるのかもしれません。