NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

21世紀型ムラ

シェアハウス わたしたちが他人と住む理由

シェアハウス わたしたちが他人と住む理由

引き続き、この本絡みです。
シェアハウスは21世紀型のムラになりうると書かれています。
従来のムラ社会と何が違うかといえば、地縁に縛られないこと、ルールは住人同士の合意で柔軟に変えていけること。
従来よりもゆるいつながりであるコミュニティであるということです。

そういう発想、自分はユニークだと感じます。
「ムラ」っていうと保守的で閉鎖的で排他的なネガティブイメージが強いですが、でも人は一人では生きられないというのは方々で言われることですよね。
「人とのつながり」という意味でのムラなら必ずしもオワコンじゃないでしょう。

農村的な旧いムラ社会では、技術が未発達だったゆえに、一つの生存戦略として村単位でまとまるという戦略を取らざるをえなかった一面があります。
全員の生死に関わるからこそ、掟も厳しく、付き合いも濃厚でした。
現在社会のように、各個人、各家庭がバラバラに人生の諸問題に対応できる時点で豊かな国だということでしょう。

企業ムラ社会では、一昔前の右肩上がりの経済事情による部分が大きいです。
別に焦らなくても、入社順、年齢順に列に並べば、順番に果実が回ってきて、回ってくる果実自体にもそんなに差がないのなら、わざわざ順番を無視してまで果実に手を出す意味もありません。
全員が座れるくらいがらがらの電車に対して、列を無視してまで先に乗り込む意味があまりないのと同じ事です。
大事なのは列から弾かれないことだけですから、そのムラの掟や付き合いの優先順位が上がるのは当然でしょう。

20世紀型のムラ社会の在り方は、その当時の社会における最適解だっただけであって、人とつながって生きること自体は間違いではないし、人とのつながりとはかくあるべし、みたいなテンプレートも絶対的じゃなくてその時その時の状況に合わせて変わっていっていいと思います。
そのような現代のつながりの一つとして、シェアハウスのような地縁血縁に縛られないゆるいつながりがあるということなのでしょう。



流れをざっくり考えてみました。
地縁血縁によって決まるメンバー同士が鉄の掟によって厳しくつながるムラも、技術の発達によってつながる合理性がなくなる。
右肩上がりの経済により、企業ムラ社会の掟さえ守っていれば、各個人、各家庭それぞれで人生を生きられるようになる。
経済成長時代が終わり、国も企業も余裕がなくなり、各個人、各家庭の面倒までは見れなくなる。結果、企業ムラ社会の掟も合理性なくなる。
依るべきコミュニティ、守るべき掟、辿るべき道筋のモデルがなくなり、旧い常識の残滓と混乱が入り混じった迷走時代(←今この辺?)

混乱する時代を生きる一つの方法として、所有より共有を選び、それぞれでゆるく他人とつながって生きる(=21世紀型ムラ)という選択肢。(こういうのも以前書きました 人のつながり - NCの日記
技術が発達している現在、一昔前のようにメンバー同士で固く結束しなければ命に関わるとかいう話にはそうそうなりませんよね。
必要に迫られた団結は技術やインフラによって代用できる部分があります。
だからこそ、メンバーを地縁血縁というステータスによる信用で選ぶ必要もないし、メンバーの入れ替えも柔軟にやっていい。
また、この道を辿れば結果が約束されるという黄金の方程式でもないからこそ、ルールや掟、つながり自体もそんなに固くて不変じゃなくていい。
一定の条件さえ満たせば誰でもメンバーになれて、メンバー同士の合意で柔軟に在り方を変えていくつながり。

少々話が大袈裟になってる感がありますが、そんなことを思ってましたw
実際、シェアハウスなんて揉め事もあるし、ずっと住むつもりはない人がほとんどという現実もありますね。
まだまだ発展途上のつながり方だと思いますけど、もっと市民権を持っていい在り方じゃないかなーとは思ったりします。

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