選挙近くなりましたね。
選挙行こうねって流れはネット上でもちらほら見かけます。
↓↓見つけたツイート↓↓
投票に行かない、ということを分かりやすく言うと、「クラスの席替えの日に学校を休むこと」だとさ。おお、これは実に直感的。個人レベルの危機感を煽るたとえだ。参加しなければお年寄りや団塊世代にとって、より有利な席替えが行われることになる。学生による活動団体が、ラジオで言っていた。
— 蝦名頼道@日高屋出没注意 (@yoripon_jp) 2014, 12月 2
もうすぐ選挙ですが、若い人こそ投票に行くべきです。前回の衆院選、60代の投票率75%に対して20代38%。そりゃ失業や最低賃金対策は後回しになって、高齢医療や年金対策ばかり重視されるって。
http://t.co/sqVqGrB0R9 pic.twitter.com/nsFex7bqZ4
— たられば (@tarareba722) 2014, 11月 27
自分ももちろん行く気です。
もう若いって言われる年じゃないので全然普通のことですがね。
若い方達は必ず投票に行かれた方がよろしいかと思います。
あとで後悔すると思いますので…。
卑近な例ですが、ウチの親が職場の新人が使えぬ…とぷりぷりしてたことがあったんですが「ゆとり世代がどうのこうの」などと言ってました。
いろいろ突っ込みどころはあるかと思いますが、ひとまず「使えない新人」の原因が「ゆとり教育」にあるとして、その新人が子どもの頃にゆとり教育を受けるハメになったのは、まさに当時の有権者(ウチの親含む)が「ゆとり教育を推進する政治に一票を投じたから」なんですよね。
(なぜ被害者面なのか…(ヽ´ω`))
と大変ゲンナリしたのを覚えています。
将来自分が「自分一人の力でどうにもならない社会制度」や「その制度が生み出した世代」に泣きを見ることがないように、自分がいいと思う(せめて「まだ許せる」)方針を打ち出している政治家や政党に一票入れようというのが選挙です。
そして一票投じた以上は自分はもう傍観者ではいられません。
自分の一票は正しかったのか、当事者意識を持って政治を見てろという話でもあるみたいです。
お恥ずかしながら自分も最近ようやくわかってきたことですがね。
ま、そこまでわかってなくてもいいからひとまずまだマシかなと思う相手に一票入れに行った方がいいですよ。
政治の無関心のツケは自分の給料から天引きされる額の増加や得られる社会保険の減量となって自分に跳ね返ってきます。極端な話、国境がどこになるかもそれ次第で変わってくることもあります。
とりあえず投票には行くべきかと思います。誰に入れるかはともかくとして。
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まーそんな上から目線の話は置いといて、自分はどうするかなーという話です(´д`)
候補者の公約とかも一応はチェックするつもりですが、ぶっちゃけ政治家という人種はわりと公約を破りますからねぇ…。時間のムダ感を感じなくもありません。
政治に興味は持ってるつもりですが、そうだとは言えない体たらくで毎日を送っちゃってますね。明らかにニュースとか世の中の動きとか追い切れてないです。
ていうかテレビは持ってないし、そもそもテレビで上質な情報は手に入らないだろうし、かといってネット意見もあまりアテにしておらず、情報収集場所がなくて若干困ってます。
信頼できる情報がネット上にタダで転がってる事はないといいますしね。
情報の質さえいいならお金を払ってでもゲットした方が…ってとこです。
まさにジャーナリズム。
ていうか一個人で手に入る情報に限りがあるからこそ「マスコミ」って存在意義があろうかと思うところですが、それがマスゴミ呼ばわりが常識になってるって彼らはいったい…(´д`)
誰に入れても一緒かなー、結局年寄世論が勝つ気がするなーというところですが、ま、それも民主主義の一面なんですよね。
「民主主義は多数派による独裁政治」
「入れたい候補がいないなら自分が立候補しろ」
自分の支持する政治を通したいならそれの支持者を一人でも増やす努力をすべきだし、いい人がいないなら自分で立候補するしかない仕組みです。
こうして見るといろいろアレですが、民主主義は人類が辿り着いた「正解」ではなく、「これまでの中じゃ一番マシ」という消去法で生き残った仕組みという話もあることですし、まあ仕方ないっすねw
こっからまたえっちらおっちら始めていくしかないですよ。
ぶっちゃけ誰にいれるべきかよくわからんのですが、少しでもマシな未来を願って…ってところですね。
みなさんも血と汗と涙と鼻水がしみ込んだ一票を叩きこんでやるとよいかと思います。