NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

人付き合いでまず失言を減らすという方針の話

先月の話とちょっと続きで、周囲とうまく付き合うのにどうするか問題のアレ。

周囲とうまく付き合ってる姿といえば、なんかウィットに富んだ軽妙なやりとりで軽やかに付き合ってる姿を自分は想像してたけど、まずは失言を減らすほうに注力するほうが大事だったなと今にすると思う感じです。

このへんの話、10年以上前に知りたかったよなぁと思うとこなので、ネットの片隅に放流しときます。



まず失言を減らす的な方針

周囲とうまく付き合おうとして、なんかうまいこと言おうとしてた時期が自分にもあったような気がするけど、なんかうまくいった記憶なくて。

コミュ障にとって「うまいこと言う」って普通にハードル高くて、これはちょっと目標の設定が違うなと。高校受験を飛ばしていきなり大学受験やろうとしてるみたいな。


前も書いたけど、自分はちょっと口が悪い失言多めのコミュ障でもあったんですよね。

そういうタイプにとって、周囲とうまく付き合おうと思うなら「うまいこと言う」の前に「失言を減らす」って段階があると思うんですよ。


失言の多さで孤立しがちなタイプは、失点の多さで自滅してるところがあると思うので、まず失言を減らす、マイナスからのスタートになってるところをゼロからのスタートに戻すあたりが現実的な直近の課題になるのかなと。

自分の独り相撲でドツボにはまってるだけだから、独り相撲をやめるだけでけっこう楽になったりするんですよね。


うまいこといえなくてもぼっちでも、ひとまずいらんこといってひんしゅく買わなければ十分なナイスプレー。当面はそこに目標をおいたほうがよかったなと今は思います。

その一言だけで相手との距離を縮めようとか自分の評価を上げようとか場を盛り上げようとか思わない。まず焦らない、急がない、がっつかないあたりが基本姿勢かなと。

失言を減らすコツ

失言減らすのに手っ取り早いのは押し黙ること。もう無理にしゃべらんでいいと。これはワイが認知の歪みとか口の悪さを抱えてた人間だから思うことかもだけど。

あと、冗談とかも無理に言わんでいいと思う。認知の歪みや口の悪さ、ついでに社会経験の浅さを抱えてると、冗談がただの悪口にしかなってなかったりして。

周囲の人にはあまり笑えないというか、ただの悪口めいた発言を素に面白いと思ってる本人の感性に周りが引き気味というか。


ちょっと話それるけど、シニカルでシュールな笑いとかブラックジョークってユーモアのなかでも上級者向けで、これらを使いこなすには天性のセンスや愛されキャラとかがいるんだと思うんですよね。

たしかに皮肉っぽいジョークを使いこなせる人も世の中には一部いるし、そういうのに自分も憧れを持ってた気がするけど、今はもうブラックジョークとかには一切手を出さないようにしてます。


あれはもうコミュ障には無理だと。これ言ったら100人中99人までが怒られるけど、その人が言ったらなんか許されるみたいな、そういう天性の才能なりオーラを持ってる人だけがうまく扱える、それがブラックジョークなんだと思っていて。

コミュ障が手を出すと場を凍り付かせるだけだったりして、悪口めいた発言を冗談に使ってたの、ほんと危ういことをしてたんだぁと。



話を戻すと、失言を減らすためにひとまずは黙って、話し上手の人をしっかり観察して、言葉のチョイスや話の内容とかを勉強するのがひとまずの方針だけど、時間はかかると思います。

コミュ強の発言をただ上面だけでまねても、まあやっぱり子供が親のスーツ着てるみたいな、どう見ても不自然な感じが出るんだよねと。

ヘタすると、コミュ強の真似なんかしておちょくってんのかお前、とひんしゅく買うことすらあるので、やっぱりこれもあんまり焦らんでいいと思う。


本当に失言を減らすのって、けっこう人生経験や人間性がいると最近感じるところで、上面だけのコミュニケーション術やライフハックだけでは対処できない気がする。

ひとまず黙って、コミュニケーション上手な人の観察を続けて、自分にも違和感なくできそうなところから少しずつ真似していけば、あとは時間が解決するところもあって、人生経験を積むにつれて自然に失言を避けられるようになるんじゃないかという気がしています。

失言しやすい場面とか

失言は油断してるとき、具体的には人を褒めようとしてるときに出るみたいな話があって。

たとえば欧米の白人様から「お前ってアジア人だけど普通に優秀だよな。俺らと全然変わらんやん」みたいに言われたら、表面上は褒められてるわけだけど、わりとひでぇ偏見がにじみ出ててけっこうアレに感じるやん、みたいな話で。

この発言の「アジア人」を「女」「陰キャ」「高卒」とかに置き換えても発言の微妙さは変わらんわけなんだよなと。


誰しも大なり小なり偏見はあるわけで、この手の発言って注意して観察すると自分もふくめてそこかしこで見られるんだけど、コミュ障で世間知らずだと、長年にわたって熟成されたけっこうな偏見を抱えてたりするわけで。

コミュ障直したい→周りの人褒めたらええんやんみたいな方向に走ると、自分のひでぇ偏見を無意識にぶっぱなして、周りとの軋轢にもつながりかねないんだよなと。


だから黙ってろじゃなくて、人をほめようとしてるときって、無意識下で「自分は相手をこれから褒めるんだから、失言なんかするわけない」みたいな油断をしやすいからお気をつけなはれや、みたいな話で。

あと、昨今の風潮からいって、褒めるって文脈でも他人様の身体的特徴には基本的にふれないほうがたぶん無難とも思う。


焦らずに良き隣人を目指すのがコツかと思う

相手を褒めるだけでこのアレコレ。コミュニケーション難しいよなって思うし、このへんが一朝一夕にはいかない、人間性や人生経験が求められるところなんだと思う。

裏返せば、冗談や社交辞令1つとっても本人の人間性や内面はにじみ出るもので、上面だけのコミュニケーションで周囲といい感じになるのって、想像以上に難しいことなんじゃないかと最近は思うところです。


自分の上面だけの言動で意図した通りの印象を相手に与えられるのは、たぶん1つの才能なんだろうと。

普通の人ですら難しいコミュケーションを、ましてコミュ障がいきなりやろうというのは、まあやっぱりちょっと無理があるんじゃないかと。

焦らない、急がない、大半の相手に対しては良き隣人になれれば十分。これくらいの気持ちでゆるーく対応して、やってられるかって思うときは無理せずに黙っとくくらいでいいと思う。失言多めのコミュ障なら、これだけでけっこう生きるの楽になったりするので。



もちろん人里で生活している以上は未来永劫黙っとくわけにもいかんわけで、ひとまず黙っとくのは対症療法や時間稼ぎの面が大きいわけなんだけど、状況によっては対症療法が有効な場面もあるので。

痛み止めで痛みの元は変わらんとはいえ、痛みが強すぎて夜も眠れないくらいなんだったら、一時しのぎに過ぎなくても痛み止めを飲む意味はあると思うし。

自分の立ち位置や周囲との距離感とかを自分のなかで一度整理するにも心身の余裕がいるわけで、自分のコミュ障ぶりで消耗が激しいときは、一時しのぎにでも一度黙り気味になるのもアリだと自分は思います。っていうか自分はそうしたし、今でもわりとそうしてます。


そうやって適度に休憩しつつ、周囲の人たちのコミュニケーション術のなかで自分でも違和感なくできそうなのを真似てみたり、自分が何気なく口にしてる言葉の意味を一度再確認しながら人生経験を重ねていくうち、ちょっとずつでも失言は減っていくんじゃないかみたいに今は思ってるとこです。