NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

やっても無駄だと今感じることも、やってみて損はなかった

昔よくやってたアテのない外出とか、最近はもうムダだと思って控えることの方が多くなりました。やったとしても前よりあまり楽しめない感もあるんですよ。

それもあって去年はWEBもリアルもROM気味だったんですけど、だからといってこれまでやってきたこと(結果的にムダだったこと)を激しく後悔してるとか、そういうのとはちょっと違う感じで。


その積み重ねがあったから、それがムダだとわかったというのもありますし、単純に楽しかったというのもありますしね。それで気が済んだり、ちょっと自信ついたりしたのは、今に役立ってるのかもしれないと。

やってみたからこそムダだと分かった。誰よりも自分自身が


昔の自分は本当にぼーっとしてるやつで、ゲームとかアニメみたいに、「どっかいったら出会いとかイベントが勝手に起こる」みたいなのを期待してたところがあって。

それで内心ワクワクしながら知らないところに出かけて行ったりとか、とりあえず外に出たりとか、それこそ「この道を選んだからこそ、何か起こるかも!?」的な期待があったと思うんですよ。


だから散歩道1本とってもルートにこだわったり、こだわった道歩いてるだけでワクワク感あったりとか。

仕事もせずにニートしてゲームしまくったり、旅行に出かけたりとか、それだけで魅力的な人たちが自分を見つけてくれて、仲良くなって人生変わったりとか、そういう赤っ恥な期待感w




そういう残念な中二全開な時期をけっこう長く過ごして、何も起きないまま年だけ取っていって、「あ、こういうの違うんだ」ってさすがに認めざるを得なくなる感じで。

目を逸らそうとしても、自分の中のもう一人の自分が「いやいや、目ぇ逸らしたって意味ないでしょw」って煽ってくる感じで、自分の中でもごまかせなくなってきたりとか。



だから今はもうそういう行動を控えがちになってきたんですが、だから全部無駄だったとか、やらない方がよかったとか、ものすごい後悔があるワケではない感じです(まったくないとは言ってない)

ま、やってみたからこそわかったってことで、これもまた自分の財産よねと。むしろこういうの実際にやってなかったら、まだ夢の中にいたかもしれぬわけで。

昔の自分のようにぼーっとしてると、人がせっかくしてくれた忠告も頭にイマイチ入らない感じだったので、こうやって自分でやって痛い目みて、実感に変えていくしかないよねと。



あと、こういうNG行為の実感があるって、けっこう大事なことって話もあるんですよね。

説得力を持って何かを説明したり、迷いなく行動するには、正解が正解である理由とその事例、そして「不正解が不正解である理由と、その事例」が両方必要と。

やってみたけど無駄だったって行為は、その「不正解が不正解である理由や事例」を知るのに役立つわけで、今後の自分の行動に多少は役立ってる感じです。


昔やってたふわっとした行動を今は前よりやらなくなりましたが、それもなかった方がよかったと断言はできないことかなと。もしそれやってなかったら、今どうせふわっとしたことやってると思いますしw


やってみて楽しかったし、なんか気が済んだ。自信も多少はついた。余計に人生詰んだけど


アスペっぽい行動を繰り返してたのもあって、若い頃ほど、思うように楽しい時間を過ごせなかったんです。

大学生の頃にやっと楽に動けるようになってきて、これまでの遅れを取り戻そうと必死で遊んできたけど、時間切れになって就職。

消化不良のまま大人デビューして、それからも学生がやるようなことを大人になってからもやりたがって、周囲とのずれがストレスになるばかりで。



そういうのが爆発したのが20代の半ばくらいで、それ以来今みたいな生活に入ったんですよね。ニートしたり、WEBにたむろしたり、意味もなく遠出したりとか。

それで人生開けるかも的な期待もあってやってたことだけど、若い頃にアスペ的な思考・行動が原因でできなかったことを取り戻してた時間でもあった気がします。


自分は一人でアレコレ抱え込むタイプなので、もう何も考えれないくらい熱中してたとは言えんくて、そのときもアレコレとくよくよと悩んでたりしたんですけどね。

でも今振り返って思うと、やっぱり楽しかったかなと。特に当時やってた貧乏旅行は若い頃にしかできないようなことで、死ぬ前に走馬灯でもう1回みたいランキング1位ですよw

あれは、時間とかお金とか体力とか、あとはアホなことやってても許される環境とか、そういうのが全部揃わないとなかなかできないことなので。

一瞬しかできなかったけど、ワンチャン逃さずに実行しといて本当によかったと思ってます。




そういうのを通して、ああ自分もやればけっこうできるもんだなとか、ここじゃなくても生きていけそうだなとか、いざとなったら東京に行ってみようとか、いろいろ視野が広がったところもあって。

そういう遅ればせながらの社会経験を通して、本当に少しだけど自信がついたような感じはあります。自信というか、世界は広いからここがダメでもヨソがある的な発想ねw



そして、10代や20代の初めくらいまでにやっときたいような、遊びと社会勉強を兼ねたような行動も、ニートの無限の時間を使ってアレコレやったり、やろうとしたりして、何か一通り気が済んだ感もあります。

やりたいことやったのもあるし、「時間が無限にあっても、俺ってけっこう何もしないね」っていう実感もかなり強くて、何もできてない現状への被害者感情が減った気もします。

どうせ時間があっても何もやらんでしょ的な毎日を過ごして、やりたいことできないのは、自分の行動が確かに招いたことって実感が強くなったんだと思います。


そうやって多少は気が済んだおかげで、明日死ぬって言われたらもちろん後悔はあるけど、20代の半ばくらいまでに比べたら、なんかスッキリと成仏できそうな感じで。

去年仕事のために引きこもりまくってても割と平気だったのは、この「気が済んだ」って感覚があったからなのかなと。



だから自分はもう意味もなく遠出したりとかあまりしませんけど、それらも決して無駄ではなかったのかなと。今の自分がこれ以上やるのは無駄だけど、そうでない人にはムダでない的な。

まあ、だから「若いうちは遊んどいた方がいい」とかはいいませんけどね。いらんことやってたせいで、自分は余計に人生詰んだのも事実なので。

自分は若いころから人生詰んでた風の人間ですので大幅にドロップアウトしましたけど、そうじゃなかったらやっぱりこういうの、やらなかったと思いますし。




あまりにも斜め上の行動はTPOに気を付けた方がいいけど、あまりにも蟹工船すぎる毎日でも何のために生まれてきたのかわからんわけで、要はバランスなんでしょうね。

今思うとムダだった行動も、何らかの形で少しは役に立ってくれるなら、少しは報われるなーという感じですよ(本当に少しだけど)