NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

考えすぎなウツには「整理」と「割り切り」と「没頭」なのかもしれない

こんなのを読みました。

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「相手と共通のプロトコルを持ってないと会話は成立しない」というのはごくありふれた話にしても、それを仕事中にやられると困るというのはよくわかります。

雑談くらいなら「まあそんなもん」でスルーできることもありますよね。会話のキャッチボール、そういうので作られる人間関係というのは、突き詰めると相互誤解で回ってるようなところもある気もしますし。


肝心なのは「それを仕事中にやられると困る」ということであって、そういうときにどうしたらいいのか、自分がそれをやられる立場だとしても、なにやらやってしまっている空気を感じる立場だったとしても、上二つのエントリはそれなりに参考になる気がします。

というか、よほど極端な人でないと「完全なる被害者」、「完全なる加害者」というのはないもので、誰もが多かれ少なかれ両方の立場に立ってる気がしますよね、悲しいことに。



生きていくのに肝心なのは、

・それをやられたとしても適当にスルーし、本当に自分が聞きたいことを(相手を不要に傷つけるような言い方でなく)上手に聞き出すスキルなり、(この人にはこういう聞き方じゃなくて、こういう聞き方でないとダメだな…)という法則発見力

・それをどうもやってしまうらしいとしても適当にスルーし(過度に落ち込んだりせずに)、「あ、サーセンw 聞きたかったのは○○についてでしたかね?w」とさりげなく方向修正するスキルや割り切り、そして自分の感覚と周囲の感覚のずれの理解と修正力


なんだろうなと思います。
これを実際にやるのは「言うは易し」というわけなんですが、じゃあどうするのかと言ったら、やっぱり上二つのエントリが役に立つところじゃないかと。



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上二つのエントリを読んで(流し読みですけど…)印象に残ったのは、聞かれたことについて答えればいいのであって、勝手に「この質問が出てきた経緯」や「それを自分に聞かれていることの意味」を推測しすぎて、今目の前にある質問を何段も飛ばした回答をしてはいけないということです。

その辺どうなんだろうなと思ったら「今聞かれているのは○○のことですか?」と、自分が答える前に素直に聞けばいいという方法が紹介されてます。
シンプルなんですけど、これはとてもいい方法だと思いますね。

仕事では、というか、人間とは「自分がしてほしいこと」をシンプルにやってもらえることをまず喜ぶ生き物だと思うのです。

だから「誰かを喜ばせたい」のであれば相手が何をしてほしいのかを調べ、それを遂行するという方法が一番スタンダードな方法ですよね。



問題は「仕事中」という特殊な環境。

仕事というのは突き詰めると「誰かを喜ばせることでお代をいただく」というのが本質だと思うので、「自分は誰かを喜ばせたいか」、「今目の前にいる名前も知らないこの人を喜ばせたいか」という自分の意志とは無関係に、今目の前にいる人=顧客を喜ばせないといけないという強制ミッション状態にあることをまず理解しないといけないと思うのです。


「自分が仕事中にやらないといけないこと=仕事中に周りにいる相手(顧客・取引先・上司や同僚)がしてほしいと思うこと」が基本であるということ。

これを理解すると、物事の本質がどうとか、こうやった方がもっといい方法だとか、そういうことももちろん頭の中で渦巻いているのはいいんだけど、とりあえず今目の前で求められているアウトプットは「相手が求めていること」に合わせないといけないわけで。

「自分ではいいと思うけど、相手に求められてはいないこと」というのは、単に優先順位が低いんだとかるーく思っておくのもいいと思います。

別にそれがいらないというのはまた極端な話で、船が転覆しかけているとき、全員が生存できる起死回生の一手を思いついたのに「それを誰も自分に聞かなかったから」という理由で黙ってるのは、またそれはそれでコミュ障すぎるわけでwww



まあ、現実はマンガやアニメじゃないというのはよく理解とかないといけない、と自分に自戒を込めて覚えておきたいですね。周囲の意見や状況をスッ飛ばして自分がヒーローになるなんてことは現実ではまずないわけで。

先のエントリのどちらかだったか忘れましたが、「AかBかを聞かれている状況で、『ぼくはGが(本質的な問題解決になって)いいと思います』と答えるのは僭越」というのがすごく腑に落ちました。

そうなんですよね。自分にその質問が回ってくるまでにも非常に多くの人の意見や合意やオトナの事情あれこれを通しているわけであって、よほどの事情でない限り自分の一存で今目の前にある選択肢をちゃぶ台返しすることなんて求められてない(許されてない)わけで。




そういう状況を前に、自分みたいに頭が悪いのはここで「なんて頭の悪い奴らなんだろう」と思いそうになりますけど、そうじゃないんですよね。単に、「自分がその状況(仕組み)を読み切れていない」だけであって…。

そういうのも含めて「自分が求められていることをこなす」ということが必要だと、知っておいて損はないと思いますね。



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で、いろいろと長々書いてしまいましたが、こっから今日書こうかなと漠然と思っていたことですw
 
周囲と微妙に噛み合わなかったとしてもけろりと生きていける人は、まあなんとかなりますよw そういう人はそういう人で需要あると思うんで。


問題は一人で考えすぎで周囲とずれてしまってて、その上「周囲とずれている」ことをさらにまた深刻に考えすぎてしまう人だと思うのですよ。

そういう人はどうしたらいいのか。自分はそれを「整理」と「割り切り」と「没頭」じゃないかと思います。



「整理」とは、上に書いたような話を理解すること。

冒頭で紹介したエントリは「なぜ自分はこういう状態に置かれているのか?」を理解する上で非常に役立つと思います。

考えすぎな人は考える事自体がけっこう好きなんじゃないかと思いますので、ヒントさえあればわりと楽しい作業になるかもしれませんよ?


そして「割り切り」とは、どうやら自分の感覚と周囲の感覚はかなりずれているらしいと理解した上で、そのズレについては割り切って修正策を施すこと。

これも先の「ヘンに考えすぎる前に『お聞きなのは○○のことでしょうか?』と質問する」という方法が一例として使えます。もっさりしてるけど、とにかく周囲とのずれを修正することを第一に何らかの方法を取るということですね。



で、とりあえず周囲とのズレを形の上でだけは修正できるようになったとしても、自分が考えていることを一切必要とされないというのはけっこうストレスなものだと思うのです。

特にあれこれと考えすぎてしまう質の人間にとっては。
(余談ですが、そういう人は他人のフンドシではなく自分のフンドシで相撲を取るようにすれば、自分のやりたいようなことができるようになります)


とりあえず表面上の摩擦が減ったとしても、「自分の言いたいこと」が溜まるばかりではき出す場がないというのはなかなか、ね…。

一人でいるとき、これまた「自分だけが頭いい、周囲の奴らはアホ」という考えにとらわれそうになって苦しむのではないかと。

そういうとき、「没頭」というのがいいと思うのですよ。



前々回の社会人大学人見知り学部 卒業見込 (ダ・ヴィンチブックス)エントリで紹介した

ネガティブを潰すのはポジティブではない。没頭だ。

というのはシンプルながらけっこう的を射た言葉だと思います。



堀江貴文さんのゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していくではこう言われています。

仕事で失敗したり、恋に破れたり、いじめに遭ったり、友人と喧嘩したり、いろんなトラブルが待っている。
そして壁にぶつかるたび、つまずくたび、人の感情はネガティブな方向に流れていく。愚痴をこぼし、社会を恨み、うまくいっている他者を妬むようになる。
(中略)
ネガティブなことを考える人は、ヒマなのだ。
ヒマがあるから、そんなどうでもいいことを考えるのだ。
(中略)
もし、あなたがポジティブになりたいというのなら、やるべきことはシンプルである。うじうじ悩んでないで、働けばいい。「自分にはできないかもしれない」なんて躊躇しないで、目の前のチャンスにとびつけばいい。与えられた24時間を、仕事と遊びで埋め尽くせばいいのだ。常に頭を稼働させ、実際の行動に移していく。働きまくって遊びまくり、考えまくる。それだけだ。
(中略)
あらゆる時間を思考と行動で埋め尽くしていけば、ネガティブな思いが入り込む余地はなくなるのである。


西谷昇二さんの何があっても、生きてろよ。では、こう書かれています。

暗澹とした気持ちになるたび、僕は、自分が毎日やっていること、読書や英語や音楽などに集中した。
不安から逃げるためではない。逆だ。いま自分がやっていることでしか未来に道はつながらないとの気持ちが強くなるからだ。
(中略)
落ち込んだり、不安になったときには、まず目の前の、自分のやるべきことに集中する、しかも丁寧にやる。
たとえそれが一字一字文字を丁寧に書くという作業でもいい。
写経という仏典を書き写す行為は、一字一字書いているうちに心が静まり、無我の境地になるというが、そこまでいかなくとも、目の前のことを丁寧にやることは、昔から実行されてきた不安撃退法なのだ。


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メッセージや表現、厳密な意味や文脈、ニュアンスは三者三様、それぞれで微妙に違いますが、重要なのは「何かに没頭することで、ネガティブ系の余計なことを考えずにすむ」ということじゃないかと思うのです。


考えすぎな人に「没頭」が使えると思う理由の一つは、本当にガチで鬱病になった方がコレをしていたからです。(昔、かなり間近でお見かけしました)

その方は手芸に没頭し、編み物系の小物をひたすら作り続けていました。

できあがった作品数は展示会でもできるんじゃないか、売りに出せるんじゃないかという数に上ってましたが、ハタから見ていた限りそれに没頭することこそが重要だったんじゃないか、と今は思えます。

できあがった作品はむしろオマケ、みたいな。



没頭することはなんでもいいと思います。

堀江さんの言うように「仕事」でもいいですし、西谷さんのように「自分の好きなこと」でもいいですし、若林さんのように「とりあえず没頭できそうななんか」でもいいと思います。

自分は、手と感覚をフルに使える上に引き込まれやすい派手な音と演出が楽しめる「テレビゲーム」をオススメしておきますけどねw
アニメとか読書も好きですけど、なんかひどく落ち込むとき、自分はやっぱゲーム最強説ですw


生きていくためには適当に空気が読めた方がいいけど、それをやりすぎてつらくなってネガティブな底なし沼にとらわれそうになったら「なにかに没頭すること」が対応策として使えるんじゃないかなーと、自分は最近思い始めているところです。