NCの日記

孤立気味に生きてきたおっさんの日記です

最近のあれこれ

興味のある本よんだり、海外いろいろ大変でこれどうなっちゃうのってハラハラしてたりする、その辺の話です。

読書感想『ピザの歴史』

自分は歴史が好きなのと食い意地が張ってるので、「食べ物の歴史」って自分の好きなテーマの掛け合わせなんだわとちょっと前に気づきまして。

で、「ピザってもともとそんな高尚な食べ物じゃないんだよな」って話を最近たまたま知って、興味わいたので読んでみました『ピザの歴史』。


ピザの歴史

読書のきっかけになったトリビアネタの通りで、ピザって18世紀のナポリで生まれた当時は貧しい人たちの食い物で、中流・上流階級の人がわざわざ食べるものではなかったようで。

ピザの主な消費者たちですらも、ピザは平日にサッと食事を済ませるときに食べるもので、うまいもの食いたいときにわざわざ選ぶものでもなかったと。

この点から個人的に連想したのは立ち食いソバで、ピザって当初はそういう食い物だったのではなかろうかと。

っていう話の出発点から、いろいろとピザにまつわる小ネタが満載で面白かったです。



ピザはいまでこそイタリアのソウルフードですが、イタリア全土で食べられるようになったのはWW2以後であって、わりと最近だと。

戦後のいろいろな要素と重なってイタリア全土に広がり、やがては移民とともにアメリカに伝わって、アメリカが全世界にピザを広めたと、そういう流れだったらしいです。


ただ、アメリカで広まったピザはアメリカでローカライズされたものであって、ナポリのものとは少し違うと。(ナポリ式はナポリ式で一定の人気を得ているらしいけど)

ナポリ式は薄い生地に2~3点の何かを乗せるシンプルなもの、アメリカ式は厚めの生地にあれこれと具をてんこ盛りにするパーティメニュー的なもの。

ピザって、薄い生地(パン)の上になんか乗せて焼くだけのシンプルさゆえに懐が深くて、アレンジの幅が無限にあるからこそ、ほかの土地に伝わったときに新しいピザがすぐに生まれてくると。


今では見慣れているアメリカ式のピザもそうやってたぶん生まれたのであって、アメリカ人好みのボリュームを出すために生地を分厚くした結果、パイに近いピザも生まれたりしていたらしくて。

ナポリのピザの源流は中世に作られていたパイではないかとみられているらしく、面白いことにアメリカ人がピザをアレンジした結果、微妙に先祖返りしたピザも一部で生まれていたと。


ナポリで生まれたものとはかけ離れても、構造のシンプルさゆえに大胆なアレンジがあっても「ピザ」の範疇に収まってしまうという懐の深さ。これがピザの神髄なのかと。

この本は翻訳もので、海外の珍しいピザとして日本のお好み焼きが紹介されていて、それは違うやろーと思ったけど、「いや、薄く伸ばした生地のうえに何かを載せて焼いている点ではピザなのか?」という思いもあって、ピザの懐の深さよ・・・みたいなね。


なんでわざわざ「ピザの歴史」をまとめる必要があるのかって、この懐の深さゆえにピザって下手するとなんでも当てはまってしまって、真剣に考えるとかえってわからなくなったりするからなのだろうと。

著者の熱意みたいなのは、外国人特有の大げさな言い回し「ピザは皿の上で学ぶ歴史の授業といっていい」にも表れていた気がしていて、ちょっと笑ったけどなんかいいねと思ったりもしました。

薄いパンを皿代わりにして何かを乗っけて食べるって構図自体は古代からあったらしくて、それもピザにふくめれば歴史はさらに昔に遡るみたいです。



そういえば最近ネットでバズっていた「ピザハットの『ハット』は小屋という意味」の話も微妙に本書に登場していました。

規格化されたピザを売る店は大企業感をあまり出さないようにするのが基本戦略らしくて、あくまで家庭的で小さな店のイメージを保とうとするのだとか。ピザハットが店名に小屋とつけているのもその一環みたいな。

ちょうど本書でその辺の話を知った後に上記のネタがバズってたのでへー、と思うなどしました。


自分たちはいまも歴史のなかを生きてるのだなと

ウクライナ情勢、まさか1カ月経っても終結しないとは先月は思っていませんでした。

当初はまさか21世紀にこんなことが起きるとは、みたいなのが主な感想でしたが、いや、中東とかでは最近もいろいろあったわけで、なんだかんだいって白人様の国で戦争は起きないって思いこんでただけだなーと。

ぽちぽち指摘されてる通り、今回のことは白人様の国で起きたことだから反応がヒステリックなだけで、非白人の国で起きたことならこれまで通りの対応だったでしょうよと。別に自分は白人でもないのに白人様に入れ込むような考えだったと思って反省しました。



それはさておき、ここまで話がこじれてしまうと、事後処理のごたごたもふくめてロシア側も被害甚大だろうと。

この事態をどう見るべきなのかは自分にはよくわかりませんが、ひとまず歴史の教科書に載る出来事が目の前で起きていることはわかりました。

WWとか冷戦とかも、今回の出来事のようにある日突然ポンと起きた(もちろん水面下でいろいろ駆け引きはあったのだろうけど)感じなのだろうかと思ったりしていて。



それにしても、今回のことでロシアはずいぶん株を下げたなぁと思います。個人的に「中国の北にあるあのデカい国」はソ連というよりはロシアという印象で、あまり両国のつながりを個人的には感じていなかったのですけど。

いや、自分が生まれたときにソ連という国はあったわけだけど小さかったので覚えてなく、北にあるあのデカい国はロシアであって、自分のなかでソ連はもう徳川幕府とかと同じ存在感しかなかったわけでして。


ところが今回の件でソ連の存在感を急に強く感じるようになって、ロシアと名乗るあの国は根本的に信用できないと、一気に印象変わりました。

ソ連時代の軍事力とかはすでに失われていて、旧国時代と同じ行動を取るのは不可能だという話もあるとはいってもね。


考えてみればプーチン大統領って普通にソ連生まれのソ連育ちであって、そりゃ本人のなかではソ連は普通に現実感をともなう存在だわなと。

ソ連終戦直前のどさくさに紛れて攻め込んできたり、北方領土を占拠したりと日本もいろいろされてるわけで、面倒な隣人感MAXですわと。こっちは中国も抱えてんだぞ勘弁しろよと。



でもまあ、今回の件に関する陰謀論的な意見もちょっと見て、個人的に西側諸国も信用できねぇのよなと。

いまの姿を見てロシアの肩はもう持てないわけですが、西側諸国の社会制度や価値観がいいとも言えないわけで(ちょっとマシなだけ)。いや、わりとどっちもろくでもねぇよと。



ひとまず今回の一件でコロナ禍とはまた別の角度から世界的に混乱が起こるわけで、庶民としちゃたまったもんじゃねぇし(ウクライナの一般市民が一番たまっちゃもんじゃない)、これで中国周りも俄然きな臭くなってきて、ハード・ソフトの両面でほんとたまったもんじゃねぇよ感。

いまこの瞬間も歴史のなかを生きてるんだなーとは思ってロマンを感じる部分もちょっとはまだあるけど、最近は世紀末を生きている感のほうが上回ってきた気がする。汚物が消毒されそう。



ウクライナに関する記事のなかで、一番印象に残ったのはこれでした(もう1カ月くらい前の記事ですが)

bunshun.jp

――奥さんから両親と離れたくないと言われている?
山本 もちろんそれもあります。ただむしろ、妻の両親たちは高齢ということもあり、ウクライナという地から何があっても離れたくないんです。その意思を尊重すると、妻としても生まれた国を守りたい、両親も守りたいということになる。そうなると、私も運命をともにすると考えざるを得ないんです。

――他の日本人たちはなぜ国内に残っているのでしょうか?
山本 私の周りにも残留邦人が3名ほどいますが、そのうち2人は現地の家族・親族がいるので残っています。もう1人は独身なんですが、私とほぼ同時期にウクライナに来ていて、もう20年をこの国で過ごしている。ウクライナに対する思い入れがあるので、この地に骨を埋めるつもりだと聞きました。

――今一番心配していることは?
山本 一番私が心配しているのは、侵攻による混乱に乗じて、ウクライナ人による強盗や盗難、空き巣が発生することです。これはまず避けられないことだと思います。
これまでも革命や混乱が起きたときは車上荒らしや空き巣、強盗は必ず発生しました。国内経済が悪化していますので、そこがやっぱり心配なところです。

混乱に乗じた強盗とか盗難が一番心配ってところ、生々しいなと。これが戦争のリアルか、などと思ったりもしました。