「おいしい話が向こうから来ることはない」は誰もが知ってる格言で、自分も言葉としては知っていましたが。
でも実感には全然なっていなかったようで、何度かこれでやらかしてます。向こうからきた話に一人で舞い上がって勝手に崖の下へ転落するみたいなことを何度か繰り返して、さすがに血肉になったっぽいです。
今はもう「向こうの方からくる話はだいたい地雷」くらいに思ってます。そのことを分かったうえで、スルーも含めて適度な対応を決めようという、その辺の話です。
美味しい話が向こうから来ることはないって本当だったわと
血眼で美味しい話をいつも探してるわけじゃないんですが、人並みに欲はあったようで、自分がどっかで求めてたような話が自分のところにきて飛びついたことが何度かあるんですよね。
むしろおいしい話が来たら迷わず飛びつけ!みたいな意識高いアレに毒されてた部分もあったかなと今は思います。
具体的にいうと仕事関係がやっぱ多いすね。某大手のクラウドソージングとかに登録して仕事してた時期があって、そのときは向こうから声を掛けられることもあるわけですよ。
なんか、それっぽいじゃないですか。変なブラックの職場に頼らず自分の力だけで生きてる、みたいな。
そういう憧れや達成感みたいなの、自分はあまり持ってないつもりでもやっぱりあったみたいで、そういう状況になるとまあ舞い上がって、ろくに確認もせずに飛びついちゃったわけです。
その結果は悲惨なもんで、向こうの方から来た話っておいしいどころかもう腐ってやがる!みたいな、もしくは何もない霞だった・・・みたいな、案件の体裁をなしてないのが普通ぐらいでしたね。
儲からないなんて当たり前で、それ以前のトラブルに振り回さて消耗するばかり。仕事のスキルも当然つかず、苦い教訓だけが残る、みたいな。(この人生経験がある種の収穫かもですが)
で、やっと気づくわけです。ああ、だから誰もやらないんだ。だから人が集まらないんだ。だから、全然関係ない自分のところまで話がきたんだと。
こういう経験を何度も繰り返すうちにやっとこさ血肉になったようで、最近は皮膚感覚で違和感を持てるようになってきました。
その話が自分のところに来る必然性はあるのか問題
警戒しすぎると「羹に懲りてなますを吹く」のごとく自分の可能性を狭めるので、ポイントを押さえるのが大事だなと思ってます。
その話が自分のところに来るだけの必然性はあるのか問題が大事だと思っていて、必然的に自分のところに来た話なら美味しい話かもしれないし、最低でも普通くらいの話かもしれないので、むやみにスルーするのはもったいないかなと思います。
さっきの仕事の話なら、自分が積極的に仕事を募集しているアピールをしていて、自分の実績やプロフィールなどもきちんと書いていて、依頼が来るだけの状況を整えてる上で来た話なら、それはそこそこの必然性がある話になるわけです。
これが、まったく何のアピールもなく、プロフも実績もほとんど書いてないのに向こうの方から鼻息荒くやってきた話って、冷静に考えたら「なんで??」って話じゃないですか。一体どこから来たの?ウチの何を見て「イイ!」って判断したの?みたいな。
自分の経験では、向こうから声がかかりようもないのにやたら好意的なアプローチをしてくる相手って、十中八九、一斉送信すね。全員に同じこと言ってるんで、よく見たらその文面は誰にでも送れるふわっとしたものだったりしたし。
自分のところにその話が来るだけの必然性があるのか、ないのか。
これ次第でその話への熱量や期待値をある程度コントロールするようになったし、それが正解だったなとも思っています。
世の中に美味しい話はそうそうない
「必然性もないのに自分のところに来た(一見よさそうな)話は地雷だ」が血肉になるにはもう1個呑み込みたい話があって、それが「世の中に美味しい話はそうそうない」だと思うんです。
世の中にそれがゴロゴロあるんなら、必然性が少々薄くても美味しい話にありつけるかもですが。
でも今の世の中を見るとまあそんなことはないので。
ってなると、SSRのおいしい話が必然性もなく自分のところに転がり込んでくる確率は、まあゼロじゃないけど実質ゼロみたいなもんで。
もっと厳密にいうと、世の中のどっかには美味しい話って確かにあると思うんですが、それが不特定多数に公開されることはまずないんだと思うんです。
今現在その話の周囲にいる人たちで完全に消費されるので、何の関係もない他人のところまで転がってくることはほぼないんですよね。
仮に、その話にありつける人がもう少し増えたとしたら、やっぱり水面下で新しい人が決まって、不特定多数に公開されることはないんだろうと。
つまり美味しい話は世の中のどっかにはあるんだけど、アクセス権がめちゃくちゃ絞られてるみたいなイメージでとらえています。
その話にアクセスするカギをすでに持っているのでない限り、まず間違いなくアクセスはできない。そういうもんなんだろうなと。
最近はこれらが血肉になってくれたっぽい
つい最近もけっこう興味を引かれた話があって、これまで通りに舞い上がりかけたんですが、それってまさに不特定多数へばらまかれてる話だったので、まあそんなに美味しくないだろうとすぐに気づいてブレーキをかけられました。
結局食いつかなかったのでそれが当たりか外れかは分からずじまいでしたが、まあそんなに美味しい話じゃなかっただろうと今でも思ってます。
こっちからは何もしておらず、自分のところに来るだけの話でもなかった上に、おそらくはこれまでにも何度も手広く募集をかけたと思われる話なのに人が十分に集まりきらなかったということは、もうそういうことだと思うので。
特に最近は、元からそんなに景気がよくなかった中でのコロナ禍なわけで、ハッキリ言えば買い手がかなり有利な状況です。
その状況にあって人を集めきれない話ってよほど何かあるんだろうなと思ってしまいますね。収入の条件が渋すぎるとか、難易度がよほど高いとか、セクハラ・パワハラをはじめとした人間関係のトラブルとか、その話のキーマンがよほど気難しいとか。
考え始めたらきりがないし、考えても詮無いことでもあるんですが。
実際に何があるのかはさておき、少なくとも多くの人が美味しいと感じる話ではなかったんだろうなということで、自分にとってもそんなにすぐ美味しい話にはならないだろうと。
こういうことが体感でパパパッとわかるようになってきたのは個人的にはよかったなと思う変化です。
決しておいしい話じゃないことをわかった上で適度に対応する
だから向こうの方から来た話には絶対に食いつくなという話では実はなくて、それを承知の上で適度な対応を決めようという話なんですよね。
さほどおいしくない話に自分のリソース全部乗せしたらそりゃ生活が破綻するけど、ごく一部を乗せるだけなら釣り合うこともあるので。
その話が詐欺とかのガチ地雷だったらノータッチ一択だけど、そうでないならリソースの調整でうまく自分の生活に組み込める可能性はあります。
美味しい話は棚ぼた的に降ってくるんではなくて、自分で育てるものだと自分は思ってるので、余裕があるなら少しずつ新しい何かを育てていくのもいいと思うんですよね。
むしろこういうのは一朝一夕ですぐ実るものではないので、一見すると美味しくなさそうな話を少しずつ育てていって、気づけば(自分にとっての)美味しい話になればいいなと、そういう風に考えています。
こういう考えができるようになったのも「向こうの方から来た話はだいたい地雷で、美味しい話ではまずない」が血肉になってくれたおかげかなと思います。
どっかから降ってきた話に舞い上がって(自業自得だけど)日常生活を乱されることも減るので、個人的にはよかったなと思ってます。